エルコンドルパサー[El Codor Pasa]。

1970年、『コンドルは飛んでいく』サイモン&ガーファンクルがカバーして世界的に有名になった。その原曲は南米アンデスのフォルクローレ。アンデスの山々を雄飛するコンドル、その旋律はなぜか、もの悲しい。

馬主・渡邊隆氏が好きな楽曲で「これはと思う馬に出会ったら付けようと、決めていた名」。



エルコンドルパサー。1995年生まれ。

父キングマンボ、母サドラーズギャル。

アメリカ生まれの外国馬ではあるが、誕生には渡邊氏の思い入れが詰まっていた。

Rough Shodの血を引く肌馬を捜し続けた渡邊氏が、ようやく見つけ購入したサドラーズギャル。配合を熟慮してキングマンボを付けた。オーナーブリダーズスタイルで誕生したのが、エルコンドルパサーなわけだ。特徴は物議をかもしたほどの姉妹同士の近親牝馬クロス。そして、いまや伝説となった『奇跡の血量』、ノーザンダンサーの4×3、18.25%をもつ。


日本で育ちながらも、外国生まれ故にクラシック出走権のないエルコンドルパサー。

新馬から無傷の4連勝で、4歳(現表記3歳)外国馬にとって唯一のG1、NHKマイルカップに出走。

トキオパーフェクト、ロードアックスなどの同じ無敗外国馬を相手に、中団から直線、早めに抜け出し押し切った。5連勝。


秋、毎日王冠、同じ外国馬で朝日杯3歳Sの覇者、グラスワンダー(4戦無敗)と対戦する。当時、怪物同士の対決として注目を浴び、東京競馬場には13万人の観衆が詰めかけた。

1歳上の無音快速サイレンススズカの驚異の逃げ切りに屈し、2着。も、グラスワンダーには先着。


11月、第18回ジャパンカップ。

同期のダービー馬スペシャルウィーク、女傑エアグルーヴ、有馬記念馬シルクジャスティス、ステイゴールド、外国馬チーフベアハート、カイタノらが相手。

3番手から楽に抜け出し、2着スペシャルウィークに2馬身半の差を付けた。

日本4歳馬(現3歳)初の栄冠。



古馬となって、エルコンドルパサーは海外へ雄飛することとなった。

狙うは、秋10月の凱旋門賞。

そのため早くからフランス入りし、フランスでレースを消化。


5月、イスパーン賞G1  2着。

7月、サンクルー大賞G1 1着。

9月、フォア賞G2    1着。



日本から飛んできたコンドルの強さに、地元・フランス人は驚き、喝采した。



10月3日、凱旋門賞。

折からの極不良馬場。相手は欧州3歳最強といわれたモンジュー。

モンジュー陣営が送り込んだペースメーカー、ジンギスカンが出遅れ、エルコンドルパサーが先頭に立った。

モンジューは中団。


単騎逃げとなったエルコンドルパサー。

直線に入っても、余力十分だった。

勝てる! 鞍上・蛯名正義は自信をもって、後続をちぎった。


だが、後続馬群の中から、1頭だけ抜けてくる馬がいた。

モンジューだ!


必死に追う蛯名!

モンジュー、キネーンのムチが飛ぶ!


ゴール!


エルコンドルパサーはモンジューに差され、2着だった。


コンドルは飛んでいく。

大空を雄飛する姿は、偉大で美しい。

何故か、その旋律にはもの悲しさが漂う。



これを最後にエルコンドルパサーは引退した。



2000年、種牡馬となったエルコンドルパサー。

2002年、7月16日、腸捻転発症により死亡。


キングマンボの後継として期待されながら、わずか3年の種付けで生涯を閉じた。


だが、その血は残した。

先ほど引退、種牡馬入りを表明したダート王者ヴァーミリアン。

菊花賞を驚異のレコード勝ちしたソングオブウインド。


父の血を伝えよ。

父の心を伝えよ。



第62回阪神ジュベナイルフィリーズG1。

ライステラス。


私、走ります。父は菊花賞馬ソングオブウインド。


そして、その父は、あの偉大な、私の大好きなおじいちゃん。


エルコンドルパサー。