キネシ実例報告 ”ただだるいだけなのに・・・”

 

今朝の大きな虹。

 

 

キネシヒーリングをやっていると

色んな相談内容の方がお見えになる。

たまに、これは難問だぞ けっこう大変なセッションになりそう

とか、かなり入り組んだ複雑な問題だからこれは長丁場になりそう

とか、これはさすがに1回のセッションでは終わらないだろうな

という場合もある。

 

が、実際にセッションを行ってみると、

途中まではどう解決に導けるのやら見当もつかないと思われた

複雑怪奇に絡み合っていた問題が、

ある一点から急にスルスルとほぐれて行って

あっという間に片が付いた。なんてこともある。

 

 

 

1回では終わらないケース

 

一方で、一見シンプルで大した事でもないような問題が

その時はきれいに終わりまで行ったように見えても

なかなかすっきり解決しない、

1回のセッションでは終わらないケースがある。

 

いつもは自慢げに1回で終わった(^^♪

やっぱりキネシは解決が早い

なんてなことを言っているので、たまには

思わぬ長期戦になって難儀したケースのご紹介など。

 

 

 

主訴は両腕のだるさである。

 

本人に特に思いつく原因なし。重いものを持ったでもなければ

運動し過ぎたでも、何か痛めるようなことはとくにしていない。

このところの天候で古傷が痛むところはあっても、それは腕ではない。

 

医療機関に相談したが やはりとくに問題は見つからないので

しばらく経過観察しましょうとなった。

だけどどうにもだるくてやっていられない。

それで何か出来ることない?と私の所に相談にいらした。

 

こういう場合、だるさを引き起こしているのは

ほぼほぼ身体的な問題ではないことが多いので

キネシで調べてみると、

やはり肉体レベルはどこも問題なし。

 

心理で反応あり。他はヒットする項目なし。

 

 

つまりやればいいのは心理面の問題だけ。シンプルで分かりやすい?

ところがこれが取り掛かってみると、なかなか・・・で あった。

 

 

出て来る細目の一々に、毎回毎回靄がかかっているというか。

はっきりしない。はっきり“見せない”“見せてくれない“のだ。

 

しかも、しょっちゅうキネシの反応も狂う。

攪乱情報もふんだんに出て来る。

 

細目をじっくりひとつひとつ解決して行って、

やっと大カテゴリ1個が終わる…という寸前で、

 

ふいに あまりに簡単にぽんぽん進みすぎる気がして

試しに基本調整をやり直してみると、

案の定 反応が見事に反転していた。

つまりこのカテゴリーの今までの作業は丸々やり直しである。

 

脱力を感じ キネシに、“この攪乱情報に踊らされずに

上手にスルーして進められなかったのか?“と訊いてみると、

(この無駄足のような過程も)“やる必要があった”、と出る。

 

 

相談にいらした本人は

腕のだるさを何とかしてほしいのであり、

当然それさえ早く解決すればいいと思っている。

 

しかしキネシはNOと出る。

 

原因を抱えている心理面はショートカットして

とりあえず今腕のだるさだけ取り除くのは可能か?と訊いたら

(↑たまにそういう事も出来たりする)今回それは無理だし、

やれたとしてもそれをやっちゃいけないケースだと。

 

それどころか、だるさの原因が

本人に全く自覚のない心理的なところにあるということを

顕在意識(表層意識)にもしっかり分からせなければならない。

 

それを表の本人が無視して無視して

長年ひたすら見るまい感じるまいとして来たので、

だるさはそれを知らせるために現れたようなものである。

 

肉体的な苦痛になら目を向ける人だからである。

 

 

で、周りくどいのだが、それを見せまい見せまいとする内側と

観たくない見たくないと避けようとする外側、

それらがどんなに妨害してこのセッションに必死で抵抗しているか

どんなに恐れているかを、

自覚できないまでも本人がしっかり知る必要がある、

それには少々時間がかかる

 

というのだ。

 

 

 

はじめの内、本人はぽかんであった。

 

ふーん、子供の頃の心の傷?そんなものが今頃ねぇ。

当然 恐れも悲しみもピンと来ないし感じていない。

 

(こんなでいいのか?このセッション

うまくいっているのだろうか?)

キネシの応えは、このままでいいから進めろ。

少々あせって来たが、出た反応を信じて進めて行く。

 

 

 

なんかぱっとしない感じで1回目のセッションが終わった。

 

このセッションがイマイチだと思ったら続けなくてもいいし、

次また来てくださるなら続きをみるので お待ちしています

みたいな。

 

で、もうこの方はいらっしゃらないかも、と思っていたら、

やはりまた腕がどうにもだるくなってきたし・・・と

続きを受けにいらした。もちろん歓迎。

 

近所で評判のカイロに行こうかとも思ったけれど何か気が乗らず

前回のことが何か胸につかえていてひっかかるので来たのだそう。

 

 

そしてやっぱり心理面の問題と出たので、

前回とあまり変わり映えのしないことをやった。

 

が、何を訊いてももやがかかったようだったのが、

前より少しクリアになっている。

少しは違うようだ。

 

そして、子供の頃のトラウマのひとつに(これも

何気なくスルーしてしまいそうな些細なこと)行き当たったら、

明らかに動揺がみられ・・・表面のご自身も

抱えてきた己の悲しさにようやく少し気付いた様子だった。

 

その悲しさを少しずつ調整していく。

深い深い大きな悲しみでも、丸ごとかたまりできれいに取れれば

一挙にすっきりすることもある。

 

が、ここでは 悲しみは形を変えて小分けされて

巧みに色んなものの裏に潜んでいたり 擬態していたり。

それを見つけては調整し 見つけては調整し・・・・

 

 

そんな感じで少しずつ、少しずつ、このセッションは

進んで行った。

 

 

 

ふだんのセッションでは、

キネシで本人の自覚していない潜在意識の方を探る。

それは本人が自覚している思い(顕在意識)とは

およそかけ離れた思いであったり

真逆の欲求を持っていたりする。

 

で、両者にギャップがあった場合、

(顕在意識に従うのと潜在意識に従うのとどちらがいいのか?は

ともかく、)

その二つの間の差が大きいほど、本人は苦しんでいたり

物事が上手く行っていなかったりする。

 

なので顕在意識と潜在意識を歩み寄らせて

両者のギャップを出来るだけなくすと

だいぶ楽になるので、

自分はセッションではそれを心掛けているが。

 

 

今回のこれは潜在意識も顕在意識も、どちらもそれぞれに

悲しみを必死で隠そうとしているケース。

どちらも真はどこにあるか探る必要があった。

 

表層の顕在意識の方も巧みにすり替え

隠されてしまっていて、本人には分かりづらかった感じ。

(つまりそれだけ直視するのもつらい深い悲しみだった。)

 

 

今でもまだたまに腕のだるさは出るという。

 

そんな時はどうぞ 自分で自分の悲しみに

大丈夫、無視しないでちゃんと向き合うから、

ちゃんと受け止めるから、安心して出て来ていいと

伝えてあげて下さいね。