6月26日(日)。中野区温暖化対策推進オフィス内特設会場で行われた

ロバート・ウィテカー写真展『オープニング・イベント』に参加しました




ロバートは、1966年のビートルズ来日に同行した公式カメラマンです



オープニング・イベント会場です。




壁面には1966年に来日した時の、4人の大きな写真パネルが





ジョンのパネルには、スタッフさんが入り込んでいてスミマセン土下座








13:30 イベント開始

まず最初は、聖地キャバーン・クラブの音楽プロデューサー
ジョン・キーツのビートルズ・アコースティック・ライブでスタート


当日、演奏してくれた曲目です♪

1) 悲しみはぶっとばせ
2) ノルウェーの森
3) ひとりぼっちのあいつ
4) アイ・フィール・ファイン
5) ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー
6) イン・マイ・ライフ
7) スタンド・バイ・ミー
8) 涙の乗車券
9) イマジン

みんなジョンの曲じゃん
まぁ~、メインゲストがジョンの妹 ジュリア・ベアードだから致し方ないかなっ

「ひとりぼっちのあいつ」では、客席の何人かはコーラス部分を唄ってました
ジョージとポールが一本のマイクでコーラスを付ける、、、あそこのフレーズですね~
これが、結構いい雰囲気だったんで~す

ジョン・キーツ氏が歌う「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の動画がありました。
この動画と同じ雰囲気で演奏を披露してくれましたよ





キーツ氏のライブ終了後、
リバプールにあるビートルズ博物館「ビートルズ・ストーリー」から来訪した
ダイアン・グローバーさんが登場。




トークの内容としては、まぁ~大まかに言いますと、
「皆さん。どうぞリバプールへお出で下さ~い!」と言った感じでしょうか
リバプールから訪れた観光親善大使みたいな雰囲気のトークでした笑

ダイアンさんのトーク終了後、司会進行役の人が客席のみんなに、
「もう既にリバプールは訪れたって方、、、何人位いらっしゃいますか~」と問いかけると、
なんと客席の3~4割の人達が挙手したものだから、もうビックリ

と言うか、ウラヤマシイ~


そしていよいよ真打・・・ジュリア・ベアードさんが登場
ジョンより6歳半年下だそうです。




「ビートルズと一緒に成長するって、どうですか?」と、よく聞かれるそうです。
そのような時は、
「ビートルズと成長したのではなく、ジョンという一人のお兄さんと成長してきた」と、
答えるそうです。
世界中のジョン・レノンになってしまった時、妹さんはどういう感情を持つのでしょうかね。
まずジョンと会う事が難しくなり、時々電話で会話していたと言ってましたが、
ジョンを誇りに思うとともに、どこか寂しさの感情も湧いてくるんでしょうね。。。

当然、ジュリアの話の内容はビートルズとしてのジョンではなく、
初めてジョンがバンドを結成したブラック・ジャックスや
クオリーメン時代の話が中心となりました。
この当時の事は、ウィキなどでも詳しく語られているので、ここでは省略しますが・・・

バンドの練習場所は、最初のドラマー、コリン・ハントンの家か母ジュリアの家だったそうです。
バンドの練習は、かなりの大音量になったため、コリンの家で練習する時は、
コリンの母親が、「私が不在の時に練習しなさい」と言ってたそうですが、
ジュリアの家で練習する時は、母ジュリアが家に居る日曜の午後に練習が許されたそうです。
母ジュリアもバンジョーを弾くことが出来たので、
いつも一緒になってバンドの練習に参加していたそうです(笑)

ジョンも最初に弾いた楽器は、母ジュリアから教わったバンジョーですしね~

「ジョン・レノン レジェンド」からの引用ですが、そんな母から最初に教わった曲のひとつが、
バディ・ホリーの「ザットル・ビー・ザ・デイ」です。
この曲を自分が知ったのは、映画「アメリカン・グラフィティ」ですね♪
昔、このサントラ盤をよく聴いたなぁ~

懐かしいので、デビュー・レコーディング・セッションとなったこの曲をご紹介します

ギター:ジョン・ポール・ジョージ、ピアノ:ジョン・ロウ、ドラム:コリン・ハントン





こんな感じで、トータル約90分のオープニング・イベントは終了しました




イベント終了後、別フロアで開催されていたロバートの写真展へ。

ビートルズ日本滞在中の貴重な作品の数々を、じっくり堪能させてもらいました~

当然の事ながら、写真展会場は撮影なので、ご紹介出来ないのが残念です


では最後に、昨年行われたポールの武道館公演のワンショットです