ジョン・レノンとオノ・ヨーコは、マンハッタンにあるスタジオ
「レコードプラント」へ向かうために、ダコタハウスを出ました。
ここは、アルバム「イマジン」をレコーディングしたスタジオでもありますね。
この時ジョンはダコタの門の所で、
一人のファンが差し出したレコードジャケットにサインをしています。
そのファンとは、そう、あのマーク・チャップマンです。

そして、スタジオに入る直前に、
ジョンのラストインタビューとなってしまったRKOラジオのインタビューを受けました。
この時ジョンは、
「ヨーコより先に死にたい。
ヨーコが先に死んだら、どうやって生きて行ったらよいかわからなくなる。
きっと、生きていけないな」と答えています。
この数時間後に起こった出来事を考えると、何とも胸が苦しくなる言葉です。。。
PM10時半頃スタジオを後にして、
PM10時50分頃に、自宅のあるセントラルパーク、ウエスト72丁目にある、
アパート・ザ・ダコタに到着。
普段はアパートの玄関口まで車を乗り付けていたらしいのですが、
この日は12月にしては大変暖かく、ジョンはアパートの外で車を止め、
広い前庭を歩いて玄関に向かって歩き始めたそうです。
途中、背後から長身の男に声を掛けられました。
約6時間前にジョンからサインを貰った、マ-ク・チャップマンでした。
「ミスター・レノン?」と聞かれ、ジョンがうなずくと同時に、銃弾が発射されました。
ジョンは、「I’m shot!」と叫んで倒れたそうです。
ジョンは、約1.6km離れたルーズベルト病院に運ばれ、
医師たちの必死の手当もむなしく、PM11時15分頃に、息を引き取りました。
(日本時間9日PM1時15分頃)
直接の死因は出血多量で、体内の約80%の血液が出血。
まだ学生だった自分は、その日の夜のニュースで知ったと思います。
NHK「ニュースセンター9時」でも、7分間の特集を組んで報道されました。
あまり記憶が定かではないのですが、このニュースも見ていたと思います。
とにかくその日の夜は、各局のニュース番組を貪るように見ていました。
翌日10日の朝、駅の売店でスポーツ新聞を買い漁りました。

当時、テレビや新聞の報道を見聞きしても、
この事態を素直に受け止める事が出来なかったですね。
後年、今は無き埼玉スーパーアリーナに併設されていた「ジョン・レノン・ミュージアム」で、
亡くなった時にジョンが身に着けていた衣類が入った袋やメガネなどが、
特別展示された期間がありました。
ジョンの血まみれになったメガネを見せられた時は、もう涙が止まりませんでした。。。

この時の衝撃と虚しさは、生涯忘れることはないでしょう!
よくポールは秀才型で、ジョンは天才型と言われますね。
ジョンは、彼の生き方から音楽を作る天才!
そして、ジョンの音楽のルーツは、ロックン・ロールだと思います。
では最後に、ジョンのアルバム「ロックン・ロール」に収録された
STAND BY ME をご紹介します。
この曲は、ベン・E・キングの大ヒットで有名ですが、
ジョンも非常にリラックスした歌声を披露してくれています!
この曲の間奏では、「アンチェインド・メロディ」のフレーズも
聴くことができるジョンの愛唱歌です



