試斬について
このブログ記事のテーマを、刀剣にするか、居合にするか、はたまた別のカテゴリーにするか、悩んだ末に刀剣に分類させていただきました。
先の記事のコメントに、以下のようなものを頂いたので、所見を述べてみたいと思います。
太い孟宗竹斬っても大丈夫でしょうか?
町井さんが振ったとしてこれは刃毀れしないでしょうか
そもそも、日本刀は対人用の刃物であり、巻藁や竹を切るための刃物ではありません。
将平の最上大業物を使っての打ち合いテストで思ったこと。それは…
日本刀とは消耗品である。
と言うことでしょうか。
将平であれ、虎徹であれ、清麿であれ、刃毀れ折損は免れないと断言します。
勿論、使い手によっては長持ちすることでしょう。
実際、息子達と打ち合ってみて、僕が使用した将平には刃毀れは少なく、刃毀れした箇所も、大きな刃がらみがあった箇所以外では小さな物ですみました。
一方、息子達が使った将平は、鋸状態になり、無残な姿になりました。
僕が使っても刃こぼれを生じた要因には、受ける側の技術不足がおおいに関係してきます。
然るべき技術を持っていたなら、互いに将平刀は少ない傷で済んだはずです。
では、何故刃毀れを生じたのか?
それは、技量不足の者が敵の太刀を受け流す際に、刃で受けてしまうからです。
刃で受けられては切り込んだ方の刀も刃こぼれします。当然です。
息子と僕が使った将平を比較すると、僕が使った将平には、鎬に切り込み傷が多数ついているのに対し、息子達が使った将平は鎬に傷が殆どなく、そのかわりに刃こぼれが随所にできているのです。
折れず曲がらず良く切れる
なんて言葉は、矛盾極まりない言葉であり、折れない刀は曲がる刀であり、曲がらない刀は折れる刀なのです。
また、将平の刀であっても、焼き入れ後のあいとり(焼きなまし)が不十分なものは、研磨の段階で刃先がポロポロと剥離してしまう現実も目の当たりにしました。
そのため、美術刀剣 刀心、つまり、僕がプロデュースする武用将平刀に関しましては、一番最初の荒砥の段階から、僕と将大とで刃付を行い、焼きの堅さに異常を感じたものは、その場で再度焼きなましの作業を行う作業を行っています。
武用将平刀を御注文下さったお客様から、まだかまだかと納期の遅れのお叱りを頂戴するのですが、こうした仔細なるチェックまで行っているため、はじめから外注に出すこともできず、仕事がどんどん遅れている状態であります。
これに関しては申し訳なく思うのですが、お客様には強い将平刀をお納めしたく、ここだけは妥協できません。ご容赦ください。
さて、名工の作にも個別差があることは上述したとおりです。
ですから、太い孟宗竹を切ったら…
と言うご質問には、正直なところ
わかりません。
としかお答えしようがありません。
竹は六月頃の青竹が一番切りやすく、その後経年と共に竹は枯れて硬くなります。
枯れた竹がどれだけ切りづらいものかは、実際にやってみるとわかりますが、お薦めできません。
今の居合、抜刀の世界は、何を勘違いしているのか、数本纏めて巻藁が切れれば良し、或いは太い竹が切れれば良しと言ったものになっています。
古い古刀をご覧になって下さい。
実用刀といわれる刀ほど、焼き刃は甘く、眠いものが多いのです。
いざ、敵の刀を受けて、折れてしまうよりは、多少曲がるほうが有利と考える先人の知恵と言うべきでしょう。
加賀正宗との異名高き兼若にしてもそうです。
加賀前田家々中の間でこのような言葉が密やかに呟かれています。
観賞用には沸出来の華やかな兼若を。
戦には匂出来の大人しい兼若を。
高温の刀を急速冷却すると沸出来の刀ができるイメージがありますが、実はその逆だそうで、低温の方が沸の強い刀ができるとのこと。
逆に高温を急冷すると匂口締まった刀ができるそうです。
※あくまで将平・将大刀匠からの又聞きですので、違う意見もあるかとは思いますが…
沸出来と匂出来、どちらが優れているのか?
それは一概には言えません。鍛えと焼きなましによって大きく左右されるからです。
話が少々脱線しましたが、とにかく、そもそも日本刀で太い孟宗竹を切れたら凄いとか、業物だとか思うこと事態が笑止と断言します。
剣術とは、敵に勝つためだけに学ぶものではなく、いかに自分の刀を損傷させず使い続けるかという課題も含めています。
使っていない刀をもってして、これは良く切れるなどと太鼓判を押すことは僕にはできません。
仮に様々な荒試しを行った後に、これは良く切れると太鼓判を押すことも僕にはできません。
何故なら、荒試しの時には耐えることができても、それがきっかけで金属疲労を起こしているかもしれないからです。
ということで、日本刀を使っての興味本位の試斬は、単なる刀を壊す行為に他なりませんので、竹を切るなら六月。巻藁や畳表を切るなら、曲芸のような切り方や、数本纏めて切るのを競うスポーツ試斬ではなく、人体の急所のみを的確に切る試斬を心がけて下さい。
畳表は一畳巻きでじゅうぶんです。
太巻きを切る必要はありません。
正しい使い方をすれば、刀は刃毀れを起こしても再生できる範疇の傷で済みます。
間違った使い方をすれば、一撃で大きく曲がるか折れるか、大きな刃毀れを生じて再生不可能となります。
最後にこれだけは伝えたいのですが、どれだけ太い巻藁や畳表、竹を切ったところで、それが強さを示すものにはなりません。
いかに正しい刀法が出来ているかは、対人相手に稽古したときに一番よくわかることです。
受けの右手首を左手で握り、抜付の要領で受けを倒すことができれば、これ即ち正しい刀法にかなっています。
逆に受けが倒れない場合は、鞘引きではなく、鞘開きになっていたり、正しい身体捌きができていない証拠です。
さて、現在居合を嗜む方々、特に先生と呼ばれる高段者に、対人相手にこれができる人がどれほどいるでしょう?
出来ない人が殆どで、それでいて段位に胡坐をかいて後輩を指導する姿に、僕は疑問を感じずにはいられず、失礼ながらそれらの人の居合を、剣舞居合、はたまた健康体操と呼称する次第です。
刀は己の身を護るべく、人を切るための刃物であり、藁や竹切りの道具ではない。
以前、ブログにも書きましたが、NHK「歴史秘話ヒストリア」撮影の際、僕は刃渡り20センチ程の小さな鉈で、直径三センチほどの青竹入り畳表を一刀両断にしています。草刈用の鎌でも同様に切りましたし、高所枝払い用の鎌でも同じく両断しました。
そのため刀の切味の凄さを示す映像にはらなず、ディレクターにはご苦労をおかけしましたが、竹なんてものは、刃筋さえ通せば、薄い鎌でも短い鉈でも、刀に負けず劣らず両断できるのです。
もう一度言います。
刀は人体の急所(血管)を切るための刃物であり、硬い物を切るための刃物ではありません。
試斬稽古とは、対象物を切るのではなく、対象物を使って、いかに己が正しい身体捌きを行えているかを確認するためのものであるべきです。
試し斬りとは、刀を試すのではなく、己の技量を試すものだということを覚えてください。
関西(大阪豊中・兵庫川西)で古流居合術を学ぶなら、『修心流居合術兵法 修心館』
http://www.shushinryu.com
居合刀・武用刀剣から価値ある美術刀剣まで、日本刀・刀剣・古武具に関することなら『美術刀剣 刀心』
http://nihontou.jp
先の記事のコメントに、以下のようなものを頂いたので、所見を述べてみたいと思います。
太い孟宗竹斬っても大丈夫でしょうか?
町井さんが振ったとしてこれは刃毀れしないでしょうか
そもそも、日本刀は対人用の刃物であり、巻藁や竹を切るための刃物ではありません。
将平の最上大業物を使っての打ち合いテストで思ったこと。それは…
日本刀とは消耗品である。
と言うことでしょうか。
将平であれ、虎徹であれ、清麿であれ、刃毀れ折損は免れないと断言します。
勿論、使い手によっては長持ちすることでしょう。
実際、息子達と打ち合ってみて、僕が使用した将平には刃毀れは少なく、刃毀れした箇所も、大きな刃がらみがあった箇所以外では小さな物ですみました。
一方、息子達が使った将平は、鋸状態になり、無残な姿になりました。
僕が使っても刃こぼれを生じた要因には、受ける側の技術不足がおおいに関係してきます。
然るべき技術を持っていたなら、互いに将平刀は少ない傷で済んだはずです。
では、何故刃毀れを生じたのか?
それは、技量不足の者が敵の太刀を受け流す際に、刃で受けてしまうからです。
刃で受けられては切り込んだ方の刀も刃こぼれします。当然です。
息子と僕が使った将平を比較すると、僕が使った将平には、鎬に切り込み傷が多数ついているのに対し、息子達が使った将平は鎬に傷が殆どなく、そのかわりに刃こぼれが随所にできているのです。
折れず曲がらず良く切れる
なんて言葉は、矛盾極まりない言葉であり、折れない刀は曲がる刀であり、曲がらない刀は折れる刀なのです。
また、将平の刀であっても、焼き入れ後のあいとり(焼きなまし)が不十分なものは、研磨の段階で刃先がポロポロと剥離してしまう現実も目の当たりにしました。
そのため、美術刀剣 刀心、つまり、僕がプロデュースする武用将平刀に関しましては、一番最初の荒砥の段階から、僕と将大とで刃付を行い、焼きの堅さに異常を感じたものは、その場で再度焼きなましの作業を行う作業を行っています。
武用将平刀を御注文下さったお客様から、まだかまだかと納期の遅れのお叱りを頂戴するのですが、こうした仔細なるチェックまで行っているため、はじめから外注に出すこともできず、仕事がどんどん遅れている状態であります。
これに関しては申し訳なく思うのですが、お客様には強い将平刀をお納めしたく、ここだけは妥協できません。ご容赦ください。
さて、名工の作にも個別差があることは上述したとおりです。
ですから、太い孟宗竹を切ったら…
と言うご質問には、正直なところ
わかりません。
としかお答えしようがありません。
竹は六月頃の青竹が一番切りやすく、その後経年と共に竹は枯れて硬くなります。
枯れた竹がどれだけ切りづらいものかは、実際にやってみるとわかりますが、お薦めできません。
今の居合、抜刀の世界は、何を勘違いしているのか、数本纏めて巻藁が切れれば良し、或いは太い竹が切れれば良しと言ったものになっています。
古い古刀をご覧になって下さい。
実用刀といわれる刀ほど、焼き刃は甘く、眠いものが多いのです。
いざ、敵の刀を受けて、折れてしまうよりは、多少曲がるほうが有利と考える先人の知恵と言うべきでしょう。
加賀正宗との異名高き兼若にしてもそうです。
加賀前田家々中の間でこのような言葉が密やかに呟かれています。
観賞用には沸出来の華やかな兼若を。
戦には匂出来の大人しい兼若を。
高温の刀を急速冷却すると沸出来の刀ができるイメージがありますが、実はその逆だそうで、低温の方が沸の強い刀ができるとのこと。
逆に高温を急冷すると匂口締まった刀ができるそうです。
※あくまで将平・将大刀匠からの又聞きですので、違う意見もあるかとは思いますが…
沸出来と匂出来、どちらが優れているのか?
それは一概には言えません。鍛えと焼きなましによって大きく左右されるからです。
話が少々脱線しましたが、とにかく、そもそも日本刀で太い孟宗竹を切れたら凄いとか、業物だとか思うこと事態が笑止と断言します。
剣術とは、敵に勝つためだけに学ぶものではなく、いかに自分の刀を損傷させず使い続けるかという課題も含めています。
使っていない刀をもってして、これは良く切れるなどと太鼓判を押すことは僕にはできません。
仮に様々な荒試しを行った後に、これは良く切れると太鼓判を押すことも僕にはできません。
何故なら、荒試しの時には耐えることができても、それがきっかけで金属疲労を起こしているかもしれないからです。
ということで、日本刀を使っての興味本位の試斬は、単なる刀を壊す行為に他なりませんので、竹を切るなら六月。巻藁や畳表を切るなら、曲芸のような切り方や、数本纏めて切るのを競うスポーツ試斬ではなく、人体の急所のみを的確に切る試斬を心がけて下さい。
畳表は一畳巻きでじゅうぶんです。
太巻きを切る必要はありません。
正しい使い方をすれば、刀は刃毀れを起こしても再生できる範疇の傷で済みます。
間違った使い方をすれば、一撃で大きく曲がるか折れるか、大きな刃毀れを生じて再生不可能となります。
最後にこれだけは伝えたいのですが、どれだけ太い巻藁や畳表、竹を切ったところで、それが強さを示すものにはなりません。
いかに正しい刀法が出来ているかは、対人相手に稽古したときに一番よくわかることです。
受けの右手首を左手で握り、抜付の要領で受けを倒すことができれば、これ即ち正しい刀法にかなっています。
逆に受けが倒れない場合は、鞘引きではなく、鞘開きになっていたり、正しい身体捌きができていない証拠です。
さて、現在居合を嗜む方々、特に先生と呼ばれる高段者に、対人相手にこれができる人がどれほどいるでしょう?
出来ない人が殆どで、それでいて段位に胡坐をかいて後輩を指導する姿に、僕は疑問を感じずにはいられず、失礼ながらそれらの人の居合を、剣舞居合、はたまた健康体操と呼称する次第です。
刀は己の身を護るべく、人を切るための刃物であり、藁や竹切りの道具ではない。
以前、ブログにも書きましたが、NHK「歴史秘話ヒストリア」撮影の際、僕は刃渡り20センチ程の小さな鉈で、直径三センチほどの青竹入り畳表を一刀両断にしています。草刈用の鎌でも同様に切りましたし、高所枝払い用の鎌でも同じく両断しました。
そのため刀の切味の凄さを示す映像にはらなず、ディレクターにはご苦労をおかけしましたが、竹なんてものは、刃筋さえ通せば、薄い鎌でも短い鉈でも、刀に負けず劣らず両断できるのです。
もう一度言います。
刀は人体の急所(血管)を切るための刃物であり、硬い物を切るための刃物ではありません。
試斬稽古とは、対象物を切るのではなく、対象物を使って、いかに己が正しい身体捌きを行えているかを確認するためのものであるべきです。
試し斬りとは、刀を試すのではなく、己の技量を試すものだということを覚えてください。
関西(大阪豊中・兵庫川西)で古流居合術を学ぶなら、『修心流居合術兵法 修心館』
http://www.shushinryu.com
居合刀・武用刀剣から価値ある美術刀剣まで、日本刀・刀剣・古武具に関することなら『美術刀剣 刀心』
http://nihontou.jp