刀 大磨上無銘(下原) ~紀州徳川家所縁の実用刀~ | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

刀 大磨上無銘(下原) ~紀州徳川家所縁の実用刀~

大磨上無銘(下原)

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/491/00.html

 

 

武州下原刀は、武蔵国弾軍の恩方村、横川村、慈根寺村(元八王子村)等に散財した山本姓を名乗る一族の刀工群が製作した刀剣類の総称で、現在の東京都八王子市で活躍しました。
この地は管領山内上杉領で、上杉家の老職(武蔵守護代)の滝山城主大石道俊、そして、小田原北条氏の関東制圧後は三代氏康の次男八王子城主北条氏照の庇護を受け、二代周重は北条氏康から”康”の一字を賜り「康重」と改名。康重の弟は、北条氏照から”照”の一字を貰い{照重}と改名。その後、徳川家からも厚く庇護され、その御用を勤めました。中には水戸光圀から一字を賜った刀工も居ります。
作刀上では室町時代末期より、安土桃山、江戸時代を通して、周重・康重・照重・廣重・正重・宗國、安國等の刀工を生み、代々下原鍛冶の伝統を受け継ぎ、江戸初期からは新刀伝をとり入れた作刀も多く見られ、下原鍛冶は十家に及び「下原十家」と言われました。江戸中期以降になると衰退するも、幕末まで続く武州唯一の刀工群です。

この刀は旧特別貴重刀剣認定書に於いては貝三原と極められていますが、現保存刀剣鑑定書刀剣では下原に極め換えされています。
小板目に杢交じり、刃縁柾がかった地鉄が肌立ち、所々に黒っぽい地鉄が見られ、匂口は沈みごころに小湾れや互ノ目を交え、刃縁に砂流が看取され、下原の極めはおおいに首肯できるもので、下原派の特色をよく示した一刀と言えましょう。

附属する黒石目塗鞘打刀拵は、赤銅の献上鐔に牡丹鑢を施した金の覆輪がかけられ、縁頭は金張りでしょうか、天井板は贅沢にも銀で誂えられ、後藤光寿の銘が切られています。後藤光寿は江戸中期の寛文から貞享頃に活躍した後藤宗家十一代。細かく打たれた魚子に沢瀉と葵の図が容彫されており、目貫も金色の龍図、切羽も金着せの上等なものが誂えられており、全体を金一色で纏めた豪華絢爛なる拵で、紀州徳川家所縁の上士の所有であったことが窺い知れます。