指導法考慮 | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

指導法考慮

4月9日の大阪豊中岡町道場定例稽古及び、4月10日の本部道場定例稽古から、指導法を変えてみました。

思い返せば今から24年程前、奈良県の近鉄学園前駅近くにある、無雙直傳英信流吉岡道場「龍心館」に通っていた頃、初心者も上級者も揃って同じ形稽古をしていたものを、修心館ではそのまま踏襲していました。


英信流修業時代の若かりし頃

正直僕自身も、教わったこともない形をいきなり抜かなければならない状態に躊躇した記憶があります。

しかしながら、周囲を見て、真似て、間違っていたら指摘を受けて、とにかく自分の眼で盗むのが当たり前の時代ではないのかもしれません。

また、門弟一人一人の理解力、体現力にも差が有り、さっとできる者も居れば何度説明しても出来ない人もいる。

熱心に教えれば教える程熱が入り、ついつい口調も厳しくなります。

次代を引き継ぐために本格的に修業に入った?愚息。
実子、実父という関係もあって、遠慮なく指導する側に意見もしてきます。

この姿勢が教わる立場の者としての賛否問題はさておき、

「中伝形は今まで教えてもらったことがない。何をどうしているのかさっぱり解らない。基礎をしっかりと教えて欲しい。」

と言われ、僕も他の門弟も同じ事を思っているかもしれないと感じたのです。


そこで、狭い稽古場なので、模擬刀が当らないよう細心の注意を払いながら、級や称号別にそれぞれ分けて指導することにしました。

つまり、教える側から見て、ある程度の完成度まで達しなければ、次の形は教えない。
稽古時間はひたすら課題として与えられた形のみを抜く。

ある意味侍の時代の指導法に近いと言えるのかもしれません。

愚息や柳原君も、前半は指導にまわるように手助けもしてくれるので、頼もしくもあり、また、後輩に指導することで二人も学ぶことが多く、気付くこともあるでしょう。

公共施設の部道場程の広さがあれば、もっとのびのび稽古もできるのですが、部道場は利用希望団体が多く、毎週決まった曜日と時間を確保することはできません。

今のように少人数だからこそできる丁寧な稽古でもあります。
だからこそ門弟各自には、今しかできない稽古をしっかりと受け、技術を身につけてもらいたいと願います。