海外からのオファーに常々思うこと | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

海外からのオファーに常々思うこと

海外から来る出演オファーについて、常々思うことがあります。

正直な感想を記述すると、とても言葉悪く聞こえるかもしれませんが…



1.どうしてあなたの国の言葉で話しかけてくるの?

2.英語は世界共通の言葉とでも思ってるの?

3.武士や侍の技芸をなんだと思ってるの?

4.ふざけた価格提示をしてこないでください。


大きく挙げて上記四つがあげられます。


ここのところが日本人と外国人の違いなのでしょうか?


日本人が相手なら、日本語で問い合わせるべきでしょう? 違いますか?

誰もが英語を話せると思わないでもらいたい。


勿論先方も日本語を話せないであろうことは理解できる。

しかしながら意味が通じなくてもいいので、母国語或いは英語表記の後に、グーグル翻訳でも構わないので、とにかく日本語訳を貼付するなど、相手の国の言葉で話しかけると言う姿勢が一切ない。

これは国内外を問わず言えることですが、切ることばかりに注目される。

そのたびに思うのです。


僕は切り屋ではない!


と。


求めているのは古の居合術であり、切り上手になることではありません。
人より切るのが上手なのは、己が求める居合稽古の副産物であり、常日頃から切る稽古ばかりに勤しんでいるわけではありません。


そもそも日本刀で畳表や巻藁を両断するという行為自体が、正しい日本刀の使い方ではなく、一部の勘違いが生み出したお遊びに過ぎないことを念頭においていただきたい。


試斬がちょっとしたブームになったことによって、これまでにどれ程の刀が無駄に消費されてきたことか。

古の武士・侍達は、己の指料を大切に扱い、居合や剣術の稽古は積んでも、山田浅右衛門等、一部を除いては切る稽古を行わなかったものです。


刀は突くもの、槍は切るもの。


と言う言葉が槍術の流派に残されていますが、これは特異な例えではなく、事実そうだったのです。

厳しい剣術の稽古を重ねるうちに、大身槍が生まれた理由も自ずと理解できました。

切ると言っても一般的なイメージにあるような、両断する切り方ではありません。

多くは語りませんが、今の時代の刀の使い方は根底からして間違っていることだけは断言できます。


僕にオファーくださるテレビ関係者には、切ることではなく、居合の本質について取り上げて頂きたく切望する次第です。










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