関係者でしょうか? | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

関係者でしょうか?

再びコメントが削除される可能性があるため、こちらに貼りつけて意見を述べさせて頂きます。
今後コメントの主は、アメブロではなく、直接僕にメールまたは連絡してきてください。

と言いますのも、前回、今回、どちらも、コメント削除前に僕の目にとまったので読めましたが、一日中PCの前にいるわけではありませんので、場合によっては拝読するまえに削除されることがあるからです。





「まずわざわざコメントを取り上げてくださりなおかつ丁寧に返信してくださったのは感謝いたします。
ただそれでもあなたの意見には賛同出来ません
昔の人の話が出ましたが確かに石を斬って稽古をしたという話は聞きませんよ けど、石を「斬った」という話なら聞くでしょう
 結果として石を本当に斬れるかどうか 現代人はわかりません だったら稽古に取り入れるのもいいのではないですか? あなたは何も得るものがないと「断言」していますが なんで何も得られないと言い切れるのでしょうかね(やったこともないのにね)
 あと骨董品を大事にしなければならない道徳心くらいは持ちあわせてますよ 私が問題にしてるのはコンクリートブロックを斬る稽古法がなぜ 無駄だと言い切れるのか というところです
何もわざわざ古刀を使用してボロボロにするのを推奨してるわけじゃないです(言葉足らずですいません) 
ただブロックを斬って何か得られるものがあれば、ボロボロになった刀は形を変えて、己の技術として身に宿る
 それは悪いことだとは思いませんね」



コメントを下さった方、本当に勘違い甚だしい限りです。

刃物で石を斬ることができるわけないでしょう。

石は砕くものであります。

そのため砕石と言う言葉があるのです。


無論石切と言う言葉も残っていることも承知していますが、これも厳密には石の層にそって鏨を入れて割くわけで、本来の「切」ではございません。

各地に派手な伝承と共に、一刀のもとに切られたと言われる石がありますが、科学的に考えてみて、できるわけがありません。

時の権力者などにより、たまたま地殻変動などによって割れた岩や石に、誰々が切ったと、まことしやかに後から伝承づけられているものにすぎません。

あくまで推測ですが、コメントの主は件の流派、道場の関係者でしょうか?

はっきりと何度でも断言します。


ブロック砕き(斬りとは認めません)で得ることなどなにもありません。敢えて言うなら、本来の物打の位置を知ることができる。くらいでしょうか。

しかしながら、物打の位置というものは、指ではじいて音を聞けば判るものであり、ブロックを斬らなければわからないのであれば、とんだ茶番です。


貴方様が件の道場関係者の方と仮定して言わせて頂きます。


ブロック砕きを続けられるのであれば、特定の刀鍛冶の様役(ためしやく)としてされてください。

そうやって何振りもの刀をダメにすることで、新たな発注をかけてあげれば、刀鍛冶も潤うことでしょう。作刀技術の向上にも繋がることでしょう。


「やったこともないのにね」


お言葉を返すようですが、将平刀にてさんざん荒試しを行ってきた者に対し、えらい上から目線ですね。


同じブロック砕き、やらせれば動画の人たちよりもはるかにうまく割って見せますよ。
それも下に畳表の山も敷かず、振り切った刀をピシッと水平に止める形で。

ただ、僕は大の刀好きなので、そのような馬鹿げたことは自ら行いませんが。


腕試しされたいのであれば、◆美術刀剣 刀心◆で将平刀を一振りお買い上げください。
ご提供くださるのであればその一刀にて試してご覧にいれます。

と、言いますか、刀は必要ないですからね。砕くだけなら鑿一本でいいでしょう。

武術というのはおよそ人との格闘でございましょう?
動脈ってコンクリートブロックを斬るのと同じなんでしょうか?

携帯用の刃渡り短いカッターナイフ一本でもじゅうぶんかと心得ますが。


コンクリートブロック砕きで得たものがあるというのでしたら、是非ともその見識をご披露頂きたいものです。

何がどうでどうなのか。


そうですね、400字詰め原稿用紙5枚くらいに小論文としてでも発表なさってみてください。








関西(大阪豊中・兵庫川西)で古流居合術を学ぶなら、『修心流居合術兵法 修心館』
http://www.shushinryu.com

居合刀・武用刀剣から価値ある美術刀剣まで、日本刀・刀剣・古武具に関することなら『美術刀剣 刀心』
http://nihontou.jp