勘違い(今の時代、一時的にお預かりしている自覚を持て!) | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

勘違い(今の時代、一時的にお預かりしている自覚を持て!)

先に記述したコンクリートブロック斬りと題した他流の稽古?についての記事について、以下のようなコメントを頂きました。

おそらくブログ記事の意に反するものなので、アメブロさんが削除すると思われるため、ここにその記述を貼りつけます。




本人の所有物で本人がそうすることによって技術が向上すると思ってるならいいじゃないの
いちいち噛み付いて他流の稽古方法を貶めるのはいかがなものかね
そんなに武道というのは狭い世界ですか?



どこのどなたか存じ上げませんが、声高らかにハッキリと言わせて貰います。


「あなた、何を勘違いされてるのでしょう?」


刀は同一同型が大量生産品できる現代の日曜雑貨や電化製品とは違います。

金を出して購入したからには自分の物なのだから、どのように使おうが勝手だろ。

という考えしかない者は、そもそも刀に触れる資格すらない!!!


古刀であれ、新刀であれ、新々刀であれ、現代刀であれ、道具を大切に使えない流派や道場に、発展など望めるわけがない。

古刀、新刀、新々刀、いずれの時代の刀でも、その時代の人からすれば当時の新作刀ですが、ぞんざいに扱わず、大切にしてきたからこそ、数百年の時を経た現代でも、当時の作品を見ることができるわけです。

いざと言う時、道具として割り切る必要はあったとは言え、昔の人が、戦のための修練と題して、真剣で石に打ちつけたり、鎖に切り込んだりはしていません。

道具を大切にすればこそ、木刀という代用品も生まれたわけです。
考えてもごらんなさい。死ななければOKというのであれば、木刀ではなく、刃を引いた刀を使って盛んに稽古されたはずです。

そういう歴史事実を見ても、ちょっと考えればわかることでしょうに。



僕の言動に対して「いちいち噛み付いて」とありますが、いくらでも噛み付いてやりますよ。

誰かが警鐘を鳴らさないと、本来失われる必要のない刀までもが消えていくのですから。

愛刀家の一人として断固抗議し続けます。



刀に関わらず、骨董全般に言えることでしょうが、



金を出したら自分の物。どうしようが勝手。と思うような人は、刀や骨董に携わるべきでは有りません。

お金を出して、今の時代を独り占めさせていただいている、預からせて頂いている。

そのような敬謙な気持ちがない人に、刀や骨董を趣味にする資格は断じてありません。


趣味じゃなくて武道だから??


屁理屈は抜き!!

武道だの武術だの言うのなら、僕のように特定の刀鍛冶と組んで、その刀匠の作刀技術向上のための荒試しとして行うべきです。


御紹介したコメントを平気でできる人がいることにも、日本人としての美意識の欠如を感じずには居れません。


最後に…

やたらめったに物を斬ったり、難物を斬ることが全てであり、武術の上達だと考えている人。

それは大間違いです。

しっかりとした形稽古が出来ていれば、斬稽古の必要すらありません。

事実、うちの門弟達は斬稽古を殆どしませんが、いざ刀を握らせ巻藁に対峙させると、皆綺麗に刃筋を通して裁断することができます。

もう一度、稽古の有り方について真剣に考えて頂きたい。

そう切に願います。








関西(大阪豊中・兵庫川西)で古流居合術を学ぶなら、『修心流居合術兵法 修心館』
http://www.shushinryu.com

居合刀・武用刀剣から価値ある美術刀剣まで、日本刀・刀剣・古武具に関することなら『美術刀剣 刀心』
http://nihontou.jp