現代刀に対する警鐘(渓流詩人さんのブログ | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

現代刀に対する警鐘(渓流詩人さんのブログ

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名高き人間国宝、無鑑査の華美で金銭的価値が高い名作でも…

素人が巻藁に斬り込んだら一撃で折れた…

これ、事実なのです。


沸や匂、金筋や稲妻、砂流に葉等々、古刀は様々な景色を地鉄や刃文に見せてくれる。

それは造ろうとして造ったものではなく、日本刀が武器として、その強靭さを求められた結果生まれたものであろうことは明白です。

それが江戸期に入り、机上の空論しか説けない刀剣学者によって、刃切がある刀はそこから折れると、まことしやかなレッテルを貼られ、研磨の際にサイデ(刀身に巻きつける布)を切先々端に引っ掛けただけで大きく欠けてしまう、武器としてなりたたない、見た目が華やかなだけの刀が名刀と賞賛され、更には江戸後期に水減法なる鍛刀法が広く普及し、現在の日本刀の規定概念として、この鍛刀法こそが古来の日本刀鍛刀法だとされてしまいました。

古刀(古刀の中でも分類される)と新刀、新々刀では、その鍛え方が異なると考えられているのですが、作刀承認を受けるには、古刀の鍛刀法とは程遠い、水減法を身につけ、それで認可を受けなければいけません。

新作刀のコンクールでは、身幅広く、焼が高い華やかな丁子刃文がもてはやされ、古刀に至っても、大和物は偏見ある刀剣識者によって下作扱いと言っても良いほど惨めな境遇に追いやられています。

その理由と言うのがまた面白いもので、

「大和物? 武士でも公家でもなく、僧兵用の刀剣だからね。」

と言うようなもの。
過去の持ち主の位の高さによって、刀剣も区別されてしまうの???


第二次大戦敗戦後、GHQの政策によって、日本は民族性だけでなく、刀剣の世界においても骨抜きにされた感が強くあります。

例えば無鍛錬の軍刀など。

水減法で鍛造されていないのだから刀ではない。

と言う扱いで、登録対象にはなりません。
切断や溶解処分となります。


敗戦当時、古い刀を救うため、日本刀の美術性を訴えることで、所持許可を獲得するにあたり、人身御供にされたのが軍刀達なのです。


しかし今は時代が違います。
いったいいつまでGHQに遠慮した法律のもと、刀剣は呪縛され続けなければならないのでしょうか。

無登録の刀剣を登録しようとすれば、刀剣の不法所持は取り締まるべし!と、勘違いした担当警察官によって、任意提出の手続きを強引に推し進められたり、事情聴取や現場検証を受けさせられたりと、年々新規登録自体が難しくなっている現実があります。

刀剣の数を把握する上に於いても、登録制度は良い方法だとは思いますが、そこに審査は不要です。

もういい加減、どのような刀剣であれ、警察抜きで直接教育委員会で登録することが出来る時代にすべきです。

僕も藤安将平刀匠も、戦中に造られた刀剣(軍刀)が破棄されることに対し、とても危機感を感じています。

それは何か…

日本刀剣史に空白の時代が出来てしまう

ということ。


過去の刀剣は、その時代時代の需めに応じて発展、進化してきたものです。
第二次大戦当時、数多くの軍刀が必要となった中で、強靭且つ量産に適した製造法が生まれることは必然のことであり、日本刀剣の一時代の姿なのです。

国会中継やニュースを見るに、政治家は互いの政党、個人に対し、足の引っ張り合い…

そんな私利私欲に駆られた私闘に割く時間を、もっと真摯に日本国のために使ってもらいたいですし、こうした刀剣の文化を守る取り組みにも充ててもらいたい。


渓流詩人さんが警鐘を鳴らすように、もはや現代刀では米国製や中国製の日本刀モドキと渡り合うことができない。そんなことになっては絶対にいけないのです。


新作刀のコンクールも、見た目の華やかさだけで選出するのではなく、その場で実際に試してみて、日本刀本来の機能を持ち合わせているかという面でも競わせるべきだと思います。


※結局なんだかんだで寝れませんでした… 徹夜です…















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