武術修業の有り方
渓流詩人さんのブログを読んでいて、大変ご尤もだと思いました。
http://blog.goo.ne.jp/kelu-cafe/e/b81371b62baebf063297aacfbaf9dcc2
近頃の武術修業の有りかたには、常々疑問を感じずにはいれません。
道場生募集の広告や文言を見るに、違和感を感じるばかりだとは、以前にもこのブログで書き綴ったとおりですが…
冷暖房完備!
駅近!
今なら入会金、月謝○ヶ月分免除!
木刀セットプレゼント!
いつでも好きな時に稽古ができる常設稽古場完備!
まるでフィットネスクラブの宣伝のようですね。
僕は居合ばかりに重点をおいてきたので、この場でも居合を中心に記述させていただきますが、僕が英信流修業時代、このような謳い文句は耳にしなかったものです。
大阪にも英信流の道場はたくさんあったにもかかわらず、奈良の道場まで時間をかけて通いました。
道場の館長である吉岡先生は、工務店を営む方で、僕の目からは裕福なお方に見えましたが、自身の道場にはクーラーはつけていませんでした。ついていたのかもしれませんが、稽古時には、夏は大型扇風機、冬は大型ストーブ程度で、涼しく道場を冷やすクーラーなどはなかったものです。
夏は道着が汗だくになり、雑巾のように絞れば汗が滴る有様でした。
錆びやすい刀にとっては、夏場の稽古での使用はお薦めできませんが、こうした環境の中でも刀を振ること自体が稽古の一つと言えるでしょう。
そんな中、所属していた道場が、新たな門人募集のポスターを作ったときのことです。
ポスター作りを館長が門人に任せたこともあるのでしょうが、
「美容と健康に」
「基礎体力作りに」
「足腰が強くなります」
と言った文言が書かれたポスターを見て、「?」と思ったことを今でもハッキリと覚えています。
今ではよく目にするこの謳い文句ですが、ハッキリ物言いますと、大抵の道場では足腰が強くなるどころか、悪くなっているのが現実です。
勇ましい袴姿の下には、膝や足首にサポーターをつけた人が殆どで、座位の形をしようものなら、着座前に「あいたたた…」と顔をしかめる人も多い。
近頃新たな門弟が増え、稽古らしい稽古が出来始めた僕の道場ですが、これまで幾人もの人達が去っていきました。
僕の人徳の無さも原因の一つでしょうが、辛抱強さが足りない方や、己に甘い人が多いというのが僕からの感想です。
たった数回来ただけで去っていく人。最短記録は入門して1回目の稽古で根を上げた人がいます。
続かない理由として大きく上げられるのが、
「物斬りをさせてくれない。」
と言うのがあります。
テレビで物を斬る僕の姿に憧れて入門された方は、形稽古が退屈で仕方ないのでしょう。
「いつ斬らせてもらえるのですか?」
そんな質問を何度も受けたものです。
他には僕が頻繫にテレビに出ていた頃のちょっとした居合ブームに乗っかって、金儲けをしてやろうと目論む人もおり、
「どれくらい通えば支部長になれますか?」
と言った質問をされたこともあります。
現在僕が運営する修心館道場には師範代がおりません。
僕が目指すところが高すぎて、門弟や子供達が、その技術水準に達していないからです。
金儲けをしたいのなら、様々な手法があるのでしょうが、僕は商売人には不向きな性格なので、居合の世界で名を知られるようになった今でも、道場は閑散としたものでぱっとしません。
不器用なれど、これもまた生き方の一つだと半ば諦めながら現実を受け止めていますが、子供達に技術を残すためには、
居合は金になるのだ
と言う姿も見せなければならない面もあります。
事実、居合の稽古をしろと言っても、皆面倒臭がりますし、妻や子供自身が
「居合では生活できないのだから、他のことに時間を使うべきではないか?」
と考えてしまっています。
昔々、子供に刀職を継がせたいなら、貧乏であっても子供の前では裕福そうに振舞え。と、とある職人に言われたことがあります。
そうやって見栄をはらないと、技術の伝承も難しい世の中なのが、なんとも世知辛いですね。
もう一つ、稽古から遠ざかる理由の一つに、
稽古場が遠い
時間が合わない
と言うものがありますが、言葉悪いのを承知で言わせて頂くと…
「甘ったれるな!」
の一言につきます。
稽古を解り易く恋愛に例えてみましょう。
あなたが恋焦がれる人が遠方に住んでいる…
御互い会える時間がなかなかない…
さほど遠距離でなくても、良く似た経験は誰しもあるのではないでしょうか?
そんな時のことを思い出してみてください。
遠くても、会いたい一心から会いに行きませんでしたか?
遠距離が故に交通費がかさんでも。
多忙な中、会いたい一心から時間を作りませんでしたか?
たとえ5分や10分しか会えないとわかっていても。
稽古に対する心構えも同じだと思うのです。
だから僕は自分の人徳の無さをあげたわけです。
僕が教える居合に対し、冷めない熱を与え続けることができなかったことは、僕自身の不徳とするところ。
熱が冷めなければ、30分しか稽古ができないとしても、遠距離であっても、通うことはできるはずです。
偉そうなことを書き綴りながら、僕自身もこれまで
「忙しくて時間がとれない」
を言い訳にしてきたことが多々有ります。
仕事に対しては自分に甘いと言えますし、趣味や習い事に対しては、熱が冷めたと言えます。
居合術は己との格闘になります。同じことの繰り返し。
必ず飽きがきて当然なのですが、そこに
「会得したい。巧くなりたい。」
と言う熱が無ければ続かないものです。
時間をおけば再燃することもあるでしょうし、僕自身、今でも投げ出したくなることもありますが、昔の人はこんな言葉を残しています。
継続は力なり
先日、稽古から長く離れている門弟が訪ねてきました。
長時間話しをし、次の稽古に来るよう促しましたが、結局当日になっても連絡はなく、姿を現しませんでした。
彼自身、今現在精神的に疲れているから仕方ないのかもしれませんが、色々と配慮してあげても、その気持ちを全て無にされている事実に、なんとも言えない寂しさを感じました。
こう言うことは彼に限らず、2度や3度ではありません。
親身になって色々してあげても、期待を裏切られることは多々有ります。
その都度僕は人嫌いになるのです。
おかげで年々偏屈なオヤジになっているのを実感します。
こう期待を裏切られることが続くと、もう、人には期待すまい。とまで思えてしまうのです。
目をかけてやった門弟ほど残らない
他の流派の先生方からも同じ言葉を聞きます。
優しさは更なる甘えを増してしまうだけなのでしょうかね。
関西(大阪豊中・兵庫川西)で古流居合術を学ぶなら、『修心流居合術兵法 修心館』
http://www.shushinryu.com
居合刀・武用刀剣から価値ある美術刀剣まで、日本刀・刀剣・古武具に関することなら『美術刀剣 刀心』
http://nihontou.jp
http://blog.goo.ne.jp/kelu-cafe/e/b81371b62baebf063297aacfbaf9dcc2
近頃の武術修業の有りかたには、常々疑問を感じずにはいれません。
道場生募集の広告や文言を見るに、違和感を感じるばかりだとは、以前にもこのブログで書き綴ったとおりですが…
冷暖房完備!
駅近!
今なら入会金、月謝○ヶ月分免除!
木刀セットプレゼント!
いつでも好きな時に稽古ができる常設稽古場完備!
まるでフィットネスクラブの宣伝のようですね。
僕は居合ばかりに重点をおいてきたので、この場でも居合を中心に記述させていただきますが、僕が英信流修業時代、このような謳い文句は耳にしなかったものです。
大阪にも英信流の道場はたくさんあったにもかかわらず、奈良の道場まで時間をかけて通いました。
道場の館長である吉岡先生は、工務店を営む方で、僕の目からは裕福なお方に見えましたが、自身の道場にはクーラーはつけていませんでした。ついていたのかもしれませんが、稽古時には、夏は大型扇風機、冬は大型ストーブ程度で、涼しく道場を冷やすクーラーなどはなかったものです。
夏は道着が汗だくになり、雑巾のように絞れば汗が滴る有様でした。
錆びやすい刀にとっては、夏場の稽古での使用はお薦めできませんが、こうした環境の中でも刀を振ること自体が稽古の一つと言えるでしょう。
そんな中、所属していた道場が、新たな門人募集のポスターを作ったときのことです。
ポスター作りを館長が門人に任せたこともあるのでしょうが、
「美容と健康に」
「基礎体力作りに」
「足腰が強くなります」
と言った文言が書かれたポスターを見て、「?」と思ったことを今でもハッキリと覚えています。
今ではよく目にするこの謳い文句ですが、ハッキリ物言いますと、大抵の道場では足腰が強くなるどころか、悪くなっているのが現実です。
勇ましい袴姿の下には、膝や足首にサポーターをつけた人が殆どで、座位の形をしようものなら、着座前に「あいたたた…」と顔をしかめる人も多い。
近頃新たな門弟が増え、稽古らしい稽古が出来始めた僕の道場ですが、これまで幾人もの人達が去っていきました。
僕の人徳の無さも原因の一つでしょうが、辛抱強さが足りない方や、己に甘い人が多いというのが僕からの感想です。
たった数回来ただけで去っていく人。最短記録は入門して1回目の稽古で根を上げた人がいます。
続かない理由として大きく上げられるのが、
「物斬りをさせてくれない。」
と言うのがあります。
テレビで物を斬る僕の姿に憧れて入門された方は、形稽古が退屈で仕方ないのでしょう。
「いつ斬らせてもらえるのですか?」
そんな質問を何度も受けたものです。
他には僕が頻繫にテレビに出ていた頃のちょっとした居合ブームに乗っかって、金儲けをしてやろうと目論む人もおり、
「どれくらい通えば支部長になれますか?」
と言った質問をされたこともあります。
現在僕が運営する修心館道場には師範代がおりません。
僕が目指すところが高すぎて、門弟や子供達が、その技術水準に達していないからです。
金儲けをしたいのなら、様々な手法があるのでしょうが、僕は商売人には不向きな性格なので、居合の世界で名を知られるようになった今でも、道場は閑散としたものでぱっとしません。
不器用なれど、これもまた生き方の一つだと半ば諦めながら現実を受け止めていますが、子供達に技術を残すためには、
居合は金になるのだ
と言う姿も見せなければならない面もあります。
事実、居合の稽古をしろと言っても、皆面倒臭がりますし、妻や子供自身が
「居合では生活できないのだから、他のことに時間を使うべきではないか?」
と考えてしまっています。
昔々、子供に刀職を継がせたいなら、貧乏であっても子供の前では裕福そうに振舞え。と、とある職人に言われたことがあります。
そうやって見栄をはらないと、技術の伝承も難しい世の中なのが、なんとも世知辛いですね。
もう一つ、稽古から遠ざかる理由の一つに、
稽古場が遠い
時間が合わない
と言うものがありますが、言葉悪いのを承知で言わせて頂くと…
「甘ったれるな!」
の一言につきます。
稽古を解り易く恋愛に例えてみましょう。
あなたが恋焦がれる人が遠方に住んでいる…
御互い会える時間がなかなかない…
さほど遠距離でなくても、良く似た経験は誰しもあるのではないでしょうか?
そんな時のことを思い出してみてください。
遠くても、会いたい一心から会いに行きませんでしたか?
遠距離が故に交通費がかさんでも。
多忙な中、会いたい一心から時間を作りませんでしたか?
たとえ5分や10分しか会えないとわかっていても。
稽古に対する心構えも同じだと思うのです。
だから僕は自分の人徳の無さをあげたわけです。
僕が教える居合に対し、冷めない熱を与え続けることができなかったことは、僕自身の不徳とするところ。
熱が冷めなければ、30分しか稽古ができないとしても、遠距離であっても、通うことはできるはずです。
偉そうなことを書き綴りながら、僕自身もこれまで
「忙しくて時間がとれない」
を言い訳にしてきたことが多々有ります。
仕事に対しては自分に甘いと言えますし、趣味や習い事に対しては、熱が冷めたと言えます。
居合術は己との格闘になります。同じことの繰り返し。
必ず飽きがきて当然なのですが、そこに
「会得したい。巧くなりたい。」
と言う熱が無ければ続かないものです。
時間をおけば再燃することもあるでしょうし、僕自身、今でも投げ出したくなることもありますが、昔の人はこんな言葉を残しています。
継続は力なり
先日、稽古から長く離れている門弟が訪ねてきました。
長時間話しをし、次の稽古に来るよう促しましたが、結局当日になっても連絡はなく、姿を現しませんでした。
彼自身、今現在精神的に疲れているから仕方ないのかもしれませんが、色々と配慮してあげても、その気持ちを全て無にされている事実に、なんとも言えない寂しさを感じました。
こう言うことは彼に限らず、2度や3度ではありません。
親身になって色々してあげても、期待を裏切られることは多々有ります。
その都度僕は人嫌いになるのです。
おかげで年々偏屈なオヤジになっているのを実感します。
こう期待を裏切られることが続くと、もう、人には期待すまい。とまで思えてしまうのです。
目をかけてやった門弟ほど残らない
他の流派の先生方からも同じ言葉を聞きます。
優しさは更なる甘えを増してしまうだけなのでしょうかね。
関西(大阪豊中・兵庫川西)で古流居合術を学ぶなら、『修心流居合術兵法 修心館』
http://www.shushinryu.com
居合刀・武用刀剣から価値ある美術刀剣まで、日本刀・刀剣・古武具に関することなら『美術刀剣 刀心』
http://nihontou.jp