麿宗家倉益栄二顛末記2 | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

麿宗家倉益栄二顛末記2

麿宗家倉益栄二顛末記2




皆様、本当にすみません。子供じみた喧嘩の様子をネットで配信することをお許し下さい。

しかしながら一方的に事実無根の罵詈雑言を倉益の都合よく言われるのは許しがたく、ましてや大先生にあたる影山断士先生の名前を汚すような経歴詐称など、本物の馬鹿に馬鹿と言われるほど腹立たしいものはなく、月にかわってお仕置きをしたくなった次第です。

で、これが最終報告になるのかわかりませんが、出先から戻るために車を運転中、淡路警察署から電話がかかってきました。

午後10:30頃のことです。

なんと!!!!!!!


こともあろうか麿宗家倉益栄二は、自分から真剣勝負を売っておきながら、受けて立つから日時を指定しなさいと対応した僕に対し、なんと地元警察署に助けを求めたのです!
真剣勝負を口にすれば誰もが引くと、たかをくくっていたようですが、彼が尼崎へ来る日を僕が調べていることを知ったからでしょう。


今回の件、当然ながらこちらに非はありません。

担当警察官に事情をお話し、真剣勝負を売ってきたのは倉益栄二自身であること、必要ならば彼がネットで配信した罵詈雑言及び名誉毀損にあたるFBでの記事を提出できる準備があることを伝えました。

「本人から真剣勝負挑んでおきながら、受けて立つと返したら警察に泣き付くなんて、なんと情けない… 本人は傍にいてはるの? ちょっとかわってもらえません?」

勿論電話にかわることもしませんし、警察もことを大きくしたくないのでかわらせようともしません。

倉益栄二は尼崎で開催されている試斬会に、月に一度くらいの割合で来ていたのですが、警察からは、尼崎へ行かないで欲しいとお願いされました。

うーん


こっちが被害者なんですけど…(困


勿論、真剣勝負を買ってやるといいながらも、八人の子供を養う身ですし、何よりも倉益ごとき小物に愛刀を使っては、刀が汚れるだけ。

倉益が真剣を構えようが、ピコピコハンマーに「真剣」と書くか、或いは木刀でちょいとあしらってやるつもりでおりましたが、倉益栄二、これまで人に真剣勝負をたきつけておきながら、それに応じる者が無いことをいいことに、一種の逃げ道にしていたようです。

戸山流の旗谷先生の立ち合い申し込みにも、

「麿は真剣での立ち合い以外は受けない。」

と、逃げたようですが、世の中には変わり者もいることを今回身をもって知ったことでしょう。

平和に話し合いで解決してやろうと思っていたこちらのことを舐めてかかって、真剣勝負云々言うからこんなややこしいことになるんですよ。

挙句の果てが、自分から言い出しておいて警察に泣き付く…

実に情けない。


警察には、

・今後英信流22代宗家を名乗らないこと。
・これまでの僕と修心流に対する罵詈雑言に対し、謝罪文をネットに掲載すること。
・他流派の免許皆伝など、嘘偽りを今後語らぬこと。
・大先生である影山断士先生の名や、僕の名を語らぬこと。

を条件に、今回は大人しく手を引くことを伝えました。

しかしながら、警官曰く、警察に民事のことに関して強制力はないとのことで、こちらの条件に従うかどうかは麿様倉益栄二次第とのこと。

悔しいですが、これが現実。

警官には、実行しなかった時には、いずれ居合や抜刀道の大会などで出くわすこともあるでしょうし、こちらが提示する条件に従わない場合は、実力行使(首根っこ掴んでお説教程度ですが)も辞さない旨を伝えて、約30分に渡る警察署とのやりとりを終えました。


しかし、現代では実現不可能な真剣勝負をいいことに、誰彼構わず喧嘩をふっかける救いようの無い馬鹿がいて、そのくせ権力や肩書きに憧れ、武道歴詐称する奴が、こともあろうか武道の世界にいることに恥ずかしさすら覚えます。

他流に喧嘩を売っておきながら、ろくに対処すらできず、警察に泣き付く倉益栄二には、開いた口が塞がりません。


僕もうちの愚息も、尼崎で麿宗家に一手ご教授賜ることを、心の底から楽しみにしていたのに…

警察からの電話の横で、息子達が倉益の敵前逃亡に抱腹絶倒したことは、言うまでもありません。
小学生の息子すら笑っていました。












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