麿宗家顛末記 | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

麿宗家顛末記

麿宗家顛末記




人のことを実名挙げてとやかく書くのは不本意ではありますが、件の御仁が、またどこで法螺を吹くかわからないため、麿宗家顛末記として最終経緯を発表させていただきます。

倉益栄二氏は、各流の免許皆伝や宗家を自称(詐称)し、こともあろうか国が定める官位まで勝手に自称(詐称)しておりました。

再三警告をしましたが改善されず、それ以前からでありますが、僕や他流の先生方の罵詈雑言を吹聴することも辞しませんでした。

近年では戸山流の旗谷先生を朝鮮人呼ばわりし、激怒された旗谷先生が木刀を二本携え、倉益に立ち合いを申し出られ、それに対し倉益は

「真剣での立ち合い以外には応じない」

と、現代では実現することも叶わない立ち合いの方法を盾に、旗谷先生からの立ち合いを断りました。

旗谷先生も武道を嗜まれる方ですから、そう易々と相手の生命を奪うような立ち合いには賛同されるはずもなく、倉益の命を奪うことまでは不要だと、呆れて相手にされませんでした。

但し、キッチリと謝罪してもらう必要はあると、大阪の勇進流、瀬戸宗家立ち合い人のもと、倉益が旗谷先生に土下座して謝罪すること、また、FB上で謝罪文を掲載することで、手打ちとなりました。

倉益はなにかあれば深い思慮もないまま気安く

「真剣で立ち合う」

とネット上(FB)でも豪語してやみません。


今回、僕と修心流に対する罵詈雑言を吹聴していたことに対し、謝罪を求めたところ、旗谷先生と違って、歳も若い僕だけに、舐めてかかっては、いつも通りの

「物言いたければ真剣持参で来い」

と言ってきました。


癇に障った僕は倉益に直接電話したのですが、声を聴くなり電話を切ったり、その後何度電話しても出る事はなく、やむなく何度も留守番電話に

「いい加減にしろよ」

と要件のみ残すこととなりました。


一旦鎮火しかけた倉益との確執ですが、未だ罵詈雑言を吹聴していると聞き及び、再び倉益に連絡を取ろうとしたのですが、自分に都合が悪いことを書かれるのを恐れた倉益は、FBで僕のアクセスを禁止する設定を行いました。

やむなく電話をかけたのですが、相変わらず出ません。

そのくせ自身のFBでは、いつも通りの

「言いたいことがあれば直接言いに来たらいいのに」
「麿に言いたいことがあれば、真剣にて言え」

と、豪語する始末。


相手にするまでもないのですが、虫の居所が悪かったこともあり、先方希望の真剣での立ち合いに応じるので、日時と場所を指定してほしいと、FBの別IDを使って伝えました。

大家族を抱える身ですから、勿論実際に真剣で立ち合うことなどは考えていませんでした。ただ、真摯なる謝罪の言葉が欲しかったのです。

ところがどうでしょう。

こちらが真剣での勝負を受けて立つと言ったとたん、態度が急変。
あれだけ真剣勝負を口にしていたにも関わらず、再び別IDの方にもアクセス禁止設定をし、捨て台詞を吐いて逃げてしまいました。


一連のいきさつは上記に間違いございません。

もし、今後、倉益が方々において、

「町井は真剣勝負に応じなかった。逃げた。」

などと自身に都合いいように吹聴することがありましたら、事実は上述の通り、倉益自身の方が逃げたのだとだけ、どうぞご記憶の片隅に置いてください。

彼は今後も経歴と肩書の詐称を続け、とんでもない武道知識をネットを介して素人に広めていくことでしょう。

何も知らない人や外国人は、コロッと騙されるかもしれません。

倉益のような人は他にも多々おられることでしょう。


そのような方のことは、どうぞ、曇り無き眼で見極められてください。


最終的に倉益から謝罪の言葉を引き出すことは出来ませんでしたが、彼が偽物であることは証明できました。

低次元の方を相手に僕も疲れました。いや、これはこれで彼がボロを出す姿を楽しめたと言った方が正解でしょうか。

争い事は好みません。


「不争」


が一番。
各々の流派に各々の考えがあります。
互いに譲れないこともあるでしょうが、争うのではなく、互いの道を歩み続け、切磋琢磨できればと思います。












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