中国の暴動 | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

中国の暴動

ニュース番組を見ると、尖閣諸島問題で、中国各地で反日デモが行われ、暴徒と化している様子が映し出されています。

デモではなく、暴動ですよね。

大手スーパー平和堂をはじめ、日本企業関連の建物や飲食店、日本車などが襲われていますが、デモという域を逸脱した野蛮な行為です。

それを中国はとめようともしない。

国民性と言うよりは、国民に日本を敵視させ、暴動行為を黙認することで、急激な発展によって顕わになった貧富の差や、国政に対する中国人のストレスの発散の吐け口、ガス抜きを行っているように思われます…


尖閣諸島については、日本の言い分、中国の言い分、それぞれあるようですが、僕自身は日本固有の領土と考えています。


一方、中国の言い分は次の通りで、尖閣諸島を日本国沖縄県と記述した中国発行の感謝状は、中国が統一政府と言えるものが存在していない混乱の中、中国の全土ではなく一部を支配していた政権が発行したものであり、それを根拠に日本領だと言われても納得いかない。また、サンフランシスコ対日平和条約は、中華人民共和国の参加なくして準備され、起草され、調印されたものであるゆえに、中央人民政府はこれを不法・無効と考える。と言うものなのだそうです。


なるほど中国にしてみれば尤もらしい言い分なのですが、それならそれで、どうして尖閣諸島の海底に石油が埋蔵されている事実を知った後に自国領だと問題視してきたのか疑問に思うところです。

尖閣諸島(魚釣島)に1884年、冒険心に富んだ福岡出身の商人・古賀辰四郎が、人跡未踏の尖閣諸島に探検隊を送り込んで調査を行いました。「魚釣島」と称されるとおり、周辺海域の魚影は濃く、とくに鰹の大きな群れが島の近場を回遊し、人間に警戒心を持たないアホウドリは簡単に獲れた。これは将来有望だと判断し、古賀は魚釣島に移住開拓を図り、日本人が住みつくようになったとのことで、古賀が開拓に着手するまで、尖閣諸島に関してはどの国も詳しいことを知らなかったそうです。


日中関係は、一触即発の有事となっていますが、一日も早く平和解決されることを切に望みます。