婚姻について
僕が思う婚姻について語ってみたいと思います。
これを読み、男尊女卑だと反論する人もおられることでしょうが、僕は声を大にして言いたい。
男尊女卑の意味を取り違えるなと。
我が国日本は、男尊女卑という概念があったればこそ、これまで夫婦間はうまくいっていたものと断言しますが、近頃のニュースや風潮を見るや、離婚が非常に目立ちます。
どうして、これほど離婚率があがったのでしょうか?
男尊女卑という言葉の意味を取り違え、それに加えて、男女平等の本来の意味を逸脱した、間違った解釈が正しいものとして浸透してしまったからに他なりません。
男女平等とは、夫婦間で夫と妻の立場が対等という意味ではありません。
選挙権や参政権などの権利について取り沙汰される言葉であります。
それに加え、核家族化した現代では、女性自身が
『嫁ぐ』
という意味を理解しておらず、婚姻を単なる同棲の延長としか認識していないのです。
また、そのような女性の両親に見られるのが、
『娘を嫁がせた』
という認識を持っていないということ。
だから夫婦喧嘩で娘が嫁入り先から戻ってくると、平然と受け入れ匿ってしまう。
嫁いだ娘が更に嫁いだ認識を失う要因です。
一昔前の娘の両親、ことに父親たるものは、娘を嫁がせるにあたりこう言ったものです。
「これからお前は嫁いだ先の人間になる。娘ではあっても、もう我が家の人間ではないのだ。辛いことがあったからと言って、たやすく戻ってくるものではない。」
それが今ではどうでしょうか?
嫁に出した両親の方から
「辛いことがあったらいつでも戻って来い」
という風潮になってしまっています。
夫婦になる・嫁ぐということは、先方の家族になるということ。その家の家名を重んじ、家長である夫をサポートすることです。
解り易く会社組織で例えるならば、家長である夫は社長で、妻は部長、子供たちは社員といったところでしょうか。
家族(家)という会社の業績を上げるために、社員が社長に意見を提案することはあるでしょうが、会社の業績に無関係な事案や、身勝手な理屈を押し付けることはしませんよね?
もっと極端に言うならば、夫婦間で男尊女卑を否定し、間違った男女平等意識を提唱する妻は、さしづめ社長に対し、平等という言葉を突き付け、社長と同じ給料をせがむようなものだと言えます。
一昔前はこのようなけしからん嫁に対し、夫はガツンと妻に言えるだけの発言力と力を持っていましたが、近頃ではこれら夫の力を削ぐ法律事案まで生まれました。
皆さんも一度は耳にされたことがあるでしょうDVというものです。
真のDVに悩む女性は確かにおられるでしょうが、夫婦間でのことをなんでもDVと片付けてしまうことはいけません。出来の悪い嫁に対し、夫が手をあげてしまうこともあるでしょう。暴力は確かに良くはありませんが、この場合はDVとは異なります。しかし、この辺が取り締まる側としては見極めの難しい問題なのでしょう。
悲しいかな現行ではどのような些細な暴力、愛の鞭であっても、過剰なほどのDV対策のせいで、妻が夫を訴えると『暴行事件』として片付けられてしまうのです。
この、なんでもかんでもDVと一緒にしてしまう悪しき風潮を、再び会社で例えるならば、過剰なまでのDV対策は総会屋と言えるのではないでしょうか?
時として総会屋は、社長の退任を要求したり、会社の経営方針を大きく変えさせたりします。
つまり、家長である夫の、地位と尊厳を奪取し、家族の統制をとるために、時として必要とされる力(躾のための暴力)まで行使できなくなるわけです。
家長による統制がとれなくなった家族は、社会や大人を舐めた子供を育み、身勝手な妻を生み出してしまうのです。
そういうことを許諾していると、今に日本は、夫が妻を叩くことができないばかりか、子の教育のために手をあげることすらできないダメ国家になることでしょう。
現にゆとり教育なる現在の教育の場をご覧になってみてください。
教師が生徒に遠慮し、生徒を叱ったり、怒ったりすることすら憚られるようになっています…
いつになったら、我が国はまともな国になるのでしょうか…
これを読み、男尊女卑だと反論する人もおられることでしょうが、僕は声を大にして言いたい。
男尊女卑の意味を取り違えるなと。
我が国日本は、男尊女卑という概念があったればこそ、これまで夫婦間はうまくいっていたものと断言しますが、近頃のニュースや風潮を見るや、離婚が非常に目立ちます。
どうして、これほど離婚率があがったのでしょうか?
男尊女卑という言葉の意味を取り違え、それに加えて、男女平等の本来の意味を逸脱した、間違った解釈が正しいものとして浸透してしまったからに他なりません。
男女平等とは、夫婦間で夫と妻の立場が対等という意味ではありません。
選挙権や参政権などの権利について取り沙汰される言葉であります。
それに加え、核家族化した現代では、女性自身が
『嫁ぐ』
という意味を理解しておらず、婚姻を単なる同棲の延長としか認識していないのです。
また、そのような女性の両親に見られるのが、
『娘を嫁がせた』
という認識を持っていないということ。
だから夫婦喧嘩で娘が嫁入り先から戻ってくると、平然と受け入れ匿ってしまう。
嫁いだ娘が更に嫁いだ認識を失う要因です。
一昔前の娘の両親、ことに父親たるものは、娘を嫁がせるにあたりこう言ったものです。
「これからお前は嫁いだ先の人間になる。娘ではあっても、もう我が家の人間ではないのだ。辛いことがあったからと言って、たやすく戻ってくるものではない。」
それが今ではどうでしょうか?
嫁に出した両親の方から
「辛いことがあったらいつでも戻って来い」
という風潮になってしまっています。
夫婦になる・嫁ぐということは、先方の家族になるということ。その家の家名を重んじ、家長である夫をサポートすることです。
解り易く会社組織で例えるならば、家長である夫は社長で、妻は部長、子供たちは社員といったところでしょうか。
家族(家)という会社の業績を上げるために、社員が社長に意見を提案することはあるでしょうが、会社の業績に無関係な事案や、身勝手な理屈を押し付けることはしませんよね?
もっと極端に言うならば、夫婦間で男尊女卑を否定し、間違った男女平等意識を提唱する妻は、さしづめ社長に対し、平等という言葉を突き付け、社長と同じ給料をせがむようなものだと言えます。
一昔前はこのようなけしからん嫁に対し、夫はガツンと妻に言えるだけの発言力と力を持っていましたが、近頃ではこれら夫の力を削ぐ法律事案まで生まれました。
皆さんも一度は耳にされたことがあるでしょうDVというものです。
真のDVに悩む女性は確かにおられるでしょうが、夫婦間でのことをなんでもDVと片付けてしまうことはいけません。出来の悪い嫁に対し、夫が手をあげてしまうこともあるでしょう。暴力は確かに良くはありませんが、この場合はDVとは異なります。しかし、この辺が取り締まる側としては見極めの難しい問題なのでしょう。
悲しいかな現行ではどのような些細な暴力、愛の鞭であっても、過剰なほどのDV対策のせいで、妻が夫を訴えると『暴行事件』として片付けられてしまうのです。
この、なんでもかんでもDVと一緒にしてしまう悪しき風潮を、再び会社で例えるならば、過剰なまでのDV対策は総会屋と言えるのではないでしょうか?
時として総会屋は、社長の退任を要求したり、会社の経営方針を大きく変えさせたりします。
つまり、家長である夫の、地位と尊厳を奪取し、家族の統制をとるために、時として必要とされる力(躾のための暴力)まで行使できなくなるわけです。
家長による統制がとれなくなった家族は、社会や大人を舐めた子供を育み、身勝手な妻を生み出してしまうのです。
そういうことを許諾していると、今に日本は、夫が妻を叩くことができないばかりか、子の教育のために手をあげることすらできないダメ国家になることでしょう。
現にゆとり教育なる現在の教育の場をご覧になってみてください。
教師が生徒に遠慮し、生徒を叱ったり、怒ったりすることすら憚られるようになっています…
いつになったら、我が国はまともな国になるのでしょうか…