刀は己を映す鏡也 | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

刀は己を映す鏡也

刀剣を趣味として持たれている方、ご自身が嗜む武術の道具として持たれている方、御刀を所持される理由は人それぞれです。


居合を嗜まれる方の中に、「刀は所詮道具、あまりにも大事にしすぎるのはよくない。」と言われる方を以前お見かけしたことがございます。


正しいようで正しくないと思いました。


刀が単なる道具であるなら、日本刀はこれほど多く残るはずがないのです。


戦前で600万振、戦後処分されたり、戦勝国に持ち帰られてしまったりで国内に残ったのが半数の300万振と言われています。


300万振ですよ。想像できますか?


他の国で古い刀剣がこれほどたくさん現存する国が他にありましょうか?


おそらくないと思います。
日本が武士の国であり、刀に精神性を求め、神器として取り扱い、そこに魂を求め置いた結果ではないでしょうか?


上記の言葉と同じようなことを僕も言うことがありますが、ニュアンスこそ近いかもしれませんが、その意味は全く異なります。


僕の場合は、

「いよいよと言う時には、刃こぼれや折損を恐れるな。」

と教えています。


大切にしないとか、道具としてしか見ていないというものとは全く違います。大切に大切に取り扱うのですが、いざ刀を抜かざるを得ない場面に遭遇したなら、刀につく傷を恐れては戦えません。

例えば、腰の刀が数百万の価値があるとします。

敵の刀を受ければ刃こぼれしてしまうな… 傷がついてしまうな…

なんてことを、その時に考えてはいけません。


いざという時にこそ、刀の真価が問われる時なのかもしれません。例え刃こぼれしようが、折れようが、所有者の命を守ってくれたなら、それは真の名刀だと僕は信じてやまないのです。



前置きが長くなりましたが、刀剣をお持ちの方にお尋ねします。




あなたの愛刀は悲鳴をあげていませんか?




過日、僕自身が惚れ込み、それはそれは大切にしていた脇指が、無残な姿になっているのを、はからずしも見てしまいました…


尾張新刀で有名刀工ではありませんが、中心を伏せ、刀目利きに見せれば、有名工の上作位と見るであろうほどの出来の良い名脇指です。

僕自身が気に入っていた脇指だけに、売れなくても良い、むしろ売れないで欲しいと、興味をもって値段交渉してくる方々を悉くお断りし、一円も値切らず、この脇指の真価を見抜いてくれる心ある方にだけお譲りするつもりでおりました。


そして、知人の紹介で良き嫁入り先が見つかったと喜んでいたのですが、とんだDV亭主の元に嫁入りさせてしまったようです…



刀掛にかかる白鞘の脇指を見た時…

あぁ、久しぶりに再会できたなと、嬉しく、懐かしく、白鞘に手を伸ばしましたら、白鞘は無残にも刃方が元から先まで、パックリと割れ、口を開いておりました。



愛情込めて育てた愛娘が、信じて託した嫁入り先で、辱めを受け、傷物にされた…  そんな心境です。



脇指から悲鳴が聴こえました。

「痛いよ… 痛いよ…」

腕や足をザックリと割かれ、パックリと開いた傷口を押さえながら助けを訴える娘の姿が脳裏をよぎりました。



やはり名刀を託す相手ではなかった…
刀を所有するに不適切な人物だった…

それを見極めることができなかった自分に腹立たしささえ覚えました…


本当に可哀想なことをしてしまいました…



もう一度お尋ねします。



あなたの愛刀は悲鳴をあげていませんか?

大切に大切に可愛がっておられますか?


刀は人を映す鏡(鑑)です。


刀が曇っていれば持ち主の心も曇っています。

錆びていれば持ち主の心も錆びています。


ピカールで磨けばピカピカにはなりましょうが、そこに日本刀としての価値はなくなります。

日本刀は研師の手によって育まれ、地は青黒く、刃は白くと、日本刀としての価値を高められます。それを素人が金属磨きの研磨剤で磨けばどうなるか?

日本刀は日本刀ではなく、ただ単に光を反射するだけの道具に成り下がるのです。


刀は気を抜けば錆び、傷がついてしまいます。


鞘を払えばいつでも研ぎ澄まされた美しい地刃を見せてくれるように、大切に大切に保管されている方の心は、刀同様に美しく晴れており、また、隙がないように思います。


かつて、宮崎駿アニメの『もののけ姫』のテーマソングにも、かような一節がありました。

『研ぎ澄まされた 刃の美しい その切先に 良く似た お前の横顔…』

趣味として扱う人ばかりでなく、居合・剣術・抜刀術といった武道、武術に携わる人間ならなおのこと、この歌詞のように、美しく研ぎ澄まされた切先のように、筋を通し、凛とした人でありたいものと願ってやみません。


刀剣をご所持の方々は、所詮道具などと言わず、心を映し出す鏡(鑑)として、大切に大切にされてください。

これは居合や剣術を嗜む方に言いますが、模擬刀と言えど、鞘に傷一つつけることは、恥だと認識してください。

歴代の所有者が、そのように心を込め、大切にしてきたからこそ、数百年の時を経てなお、神々しく光り輝く日本刀が我が国にはたくさんあるのです。


私達は次の時代にそれらを伝えるため、今の時代に一時的にお預かりしているだけなのです。


これを理解できない人に、刀を持つ資格はありません。刀を語る資格はありません。侍を語る資格もありません。


普段稽古で使う道具だからこそ、一年でも、一ヶ月でも、一日でも、一時間でも、一分でも、一秒でも、長く使えるように、己の業を磨き、刀を育む者こそ、上手・名人になれるのです。


以前、このブログでも語りましたように、僕に居合術の師はおりません。


独学の中で僕に様々なことを教えてくれたのは刀自身でした。



いかに御刀に傷をつけることなく抜くことができるのか?


それを追い求め、いつしか今の領域に達した次第です。


道具が教えてくれることもあるのです。