恩師 | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

恩師

僕自身、居合や抜刀術に関して、教えを請うた先生がいらっしゃいます。


形居合…無雙直傳英信流の吉岡早龍先生
試斬…某氏


試斬の師を某氏と敢えて表現するのは、僕自身の頑固なこだわりです。

僕は武術としての居合を目指しています。

吉岡先生は御存命中の無雙直傳英信流の居合家としては、間違いなく日本屈指のお方と思います。先生の博学と居合に対する情念に触れることがなければ、今の僕の居合はなかったと思います。


某氏はただ単に物(巻藁)を斬ると言うことに於いては、非常に研究熱心で、日本屈指の名人だと認めますが、武術としての観点からは疑問符が付き、彼自身と彼の周囲の人間に対し、快く思わない僕は、今や彼から試斬技術を学んだと言うことを口外することすら憚られるのです。

しかし某氏がいなければ、今の僕がないこともまた事実。

ですから某氏にも感謝の念は抱いております。


ただ、彼の求める物と僕が求める物との隔たりが大きすぎた。それだけです。


巻藁を10本並べて一気に斬ろうが、派手な返し業を決めようが、そこに武術としての理念、概念がないものを、僕は武術として認めたくはありません。

ただ単に物を綺麗に斬れればそれでよしという流派、技術を、僕は武術でも、武道でもなく、敢えてこう呼称します。


『スポーツ試斬』


うちの道場では、常日頃から、冗談交じりにこう門弟に言い聞かせています。


「テポドンが飛んできても生き残れる居合をしろ。」


突拍子も無い発言、突拍子も無い表現かもしれませんが、我が国の一大事に、自らの手で家族を守れる居合を習得してもらいたいと、強く願ってやまないのです。


ここから記述することは、悪く捉えれば単なる自己満足、自慢に聴こえるかもしれませんが…



形居合の師は吉岡先生、物斬りの師は某氏、されど、居合術の師は誰でもなく、完全に独学です。



世の中には、知識のない者にまやかしの技術を見せ、己を誇示する方もおられます。



僕が過去に見たものとしては、抜き付けの片手水平斬りで、斬り易い材質の巻藁を切って見せたり、通常なら硬いはずの巻藁を、薬品に浸ける事によって柔らかく、斬り易くしたり、酷いものになると、鉄パイプに見せかけて、柔らかいアルミパイプを切って見せたり、更には、水を溜めた水瓶を一刀両断にして見せる芸当までありました。


昨日、極真空手の松井館長に

「水瓶は本当に斬れるのですか?」

とご質問を受け、下記のように正直にお答えしました。


「陶器は釉薬を塗り、焼き固めた時点でガラス質になります。ガラスと日本刀の鋼とでは、ガラスの方が硬く、日本刀でそれを斬る事は不可能です。日本刀は刃毀れし、陶器は砕けます。」

と。


水瓶を斬る写真をご覧になられたことがある松井館長は、非常に驚かれておられましたが、そのトリックをご説明さしあげますと、「なるほど…」と深くご納得されておられました。

そのトリックとは…


通常、窯業では、「整形(製作)(→乾燥→素焼き→本焼き」の工程を経るのですが、乾燥の段階でそれなりの硬さになります。

これに釉薬風の塗装を施し、内に水を張るわけです。

焼いていない、ただ乾燥させただけの未完成の水瓶ですから、表面は塗装により、かりっと、中は水により粘土に戻ろうとした状態になります。


これを日本刀で一刀両断にするのです。



その瞬間だけを納めた写真を見れば、見事、硬い水瓶を、砕くことなく一刀両断にしているような風景が撮影できます。


そのようなトリックを知らず、今だ武道・武術の世界では、「○○先生は水瓶を一刀両断にした!」などと嘯かれるのです(苦笑


さて、話が横道をそれましたが、先にも述べたように、僕の居合術の師は誰でもなく、僕自身であります。


鞘から抜き放つ刀で、巻藁を一刀両断にできる居合家が、僕が知る限りおりませんでした。


現在、抜き付けと称して巻藁を一刀両断にする動画が多々見受けられますが、あれらは本物の居合斬りではありません。では何か? 単なる片手斬りに過ぎません。

残念ながら素人の眼からは、本物の抜き付けと抜き付けモドキの違いを見つけることはできないのです。いえ、むしろ、抜き付けモドキを売り物にしている人自身が、その違いを理解できていないと断言しても良いでしょう。


僕は真の居合術を求め、ただ一刀のもとに両断できる居合斬りを、苦心に苦心を重ねて自ら編み出しました。

その結果が高速の飛来物や、小さな標的をも確実に捉えることができる僕の抜付なのです。