居合術と抜刀術
先の記事でも触れましたが、居合術と抜刀術は異なるものだと僕は個人的に考えています。
居合術と抜刀術、それぞれをレ点をつけた漢詩を読むように解釈するのと、純粋に文字通りに受け取るのとでは、全くイメージが異なるのもまた不思議ですね。
『抜刀術』にレ点をつけて読むと、「刀を抜く術」となり、あたかも鞘に入った状態の刀を、いかにして抜くかに重点を置いた武術のようなイメージになってしまいます。
一方、そのまま読むと、「抜いた刀の術」となり、互いに名乗りをあげ、いざ勝負!と言った状況が連想されます。
前者は居合と同義語に解釈されてしまいますが、同じ意味なら「抜刀」「居合」それぞれの言葉は生まれません。
日本語というのは類義語が多いですが、つきつめていくとその意味に必ず違いがあるものです。
だからこそ、「居合術」と「抜刀術」が異なるものだと明確にする必要を感じます。
また、剣術も居合術や抜刀術と同じものと思われ勝ちですが、これも両者とは異なるものと僕は位置づけています。
また、僕を紹介する文面を見るとき、そこに
「居合道家」
と書かれたものを見かけることがよくありますが、僕は「居合道」と「居合術」は異なるものと考えていますので、「居合道家」と呼ばれることは、正直嬉しくありません。
「居合術家」
と呼称していただきたい。
なぜなら、僕の中での「居合道」とは、形の形式美と伝統云々ばかりを追い求めた舞であり、「居合術」は己の腕や身体を壊してまでも極めんとする、血生臭い武術だからです。
居合術と抜刀術、それぞれをレ点をつけた漢詩を読むように解釈するのと、純粋に文字通りに受け取るのとでは、全くイメージが異なるのもまた不思議ですね。
『抜刀術』にレ点をつけて読むと、「刀を抜く術」となり、あたかも鞘に入った状態の刀を、いかにして抜くかに重点を置いた武術のようなイメージになってしまいます。
一方、そのまま読むと、「抜いた刀の術」となり、互いに名乗りをあげ、いざ勝負!と言った状況が連想されます。
前者は居合と同義語に解釈されてしまいますが、同じ意味なら「抜刀」「居合」それぞれの言葉は生まれません。
日本語というのは類義語が多いですが、つきつめていくとその意味に必ず違いがあるものです。
だからこそ、「居合術」と「抜刀術」が異なるものだと明確にする必要を感じます。
また、剣術も居合術や抜刀術と同じものと思われ勝ちですが、これも両者とは異なるものと僕は位置づけています。
また、僕を紹介する文面を見るとき、そこに
「居合道家」
と書かれたものを見かけることがよくありますが、僕は「居合道」と「居合術」は異なるものと考えていますので、「居合道家」と呼ばれることは、正直嬉しくありません。
「居合術家」
と呼称していただきたい。
なぜなら、僕の中での「居合道」とは、形の形式美と伝統云々ばかりを追い求めた舞であり、「居合術」は己の腕や身体を壊してまでも極めんとする、血生臭い武術だからです。