【豆知識】居合考 ~一振指~ | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

【豆知識】居合考 ~一振指~

近頃では大小二振を腰に居合を稽古する道場や流派をよく見かけるようになりました。

そしてそういった道場では、口を揃えて


「本来、武士は二本差しなんだから。」

とか

「上士が行う武術だから。」


などと理由付けています。



間違いではないとは思います。

武士は二本差し。正しくは「二振指」と称すべきでしょう。



ちなみに時代劇では、仕官していない流浪の侍を「浪人」と称していますが、これは間違い。
浪人というのはヤクザ者などを指し、仕官せず、貧しくとも、物乞いをしていたとしても、武家としての誇りを捨てていない二振指の者は、浪人ではなく、

『浪士』(ろうし)

と称します。
忠臣蔵などでは赤穂浪士と、正しい呼称が残っていますよね。


話を本題に戻しますが、武士は二振指ですが、侍は一振指が多かったことを、今の居合を嗜む方々は知らないようです。

と、言いますか、武士と侍が混同されていると言う方が正しいのかもしれません。
では、武士とはなんぞや? 侍とはなんぞや? 両者の違いを下に記します。



将軍や各大名の直々の配下が武士であり、武士が私用に雇う者が侍です。
歴史の教科書でも習ったことがあると思いますが、町人であっても、優秀であれば侍になることができました。

旗本の次男や三男など、家督を継ぐことができない者の多くが、他家に雇われ、侍として生き、それらの者は大小を持参して指すことができましたが、金銭的な問題から、自分用の刀すら持てなかった侍や、優秀さを買われ、侍となった者などは、当然のことながら大小を持っておらず、そのような場合には、雇い主である武士が刀のみを貸与していました。(用人・給人は大小二振)

侍は大小を指(さ)しているものだという思い込みがあるようですが、実際にはこのように刀一振のみを指していた侍が多かったわけです。

武士が雇う奉公人の階級は、用人・給人・中小姓・若党・中間とあり、中間は槍持ち、草履取り、挟箱持ちなどの雑用を専門とする最下階級で、

「びしょ」

などとも呼ばれ、刀はおろか、脇指も指せません。脇指形の木刀を帯の後ろに指しました。俗に言うところの奴(やっこ)さんというものです。

彼らは雨の日、身分の高い武士とすれ違う時には、道を譲り、雨笠や蓑などの雨具を身から外し、武士が通り過ぎるまで膝をついて頭を下げなければなりませんでした。

雨に濡れることを

「びしょ濡れ」

などと言いますが、実はこの中間が濡れる姿から来た言葉なのです。


中間の上、若党というのは、先にも記述したように、家督を継ぐことができない武士の次男や三男などが多く、彼らは武士の警備や外出時の共侍(身辺警護)が専らの仕事で、刀一振のみの帯刀でした。


武家社会のことを書き綴りましたが、結論として何が言いたいかと言えば…


居合は本来一振指で稽古するもの


ということ。
脇指一振のみを指した居合は存在しても、刀一振のみを指した居合はおかしいなどとのたまう方もおられるようですが、

居合を語る前に武家社会を学ばれるべきでしょう。

正しい歴史や知識を伝えることも、居合を教授する上においては必要不可欠であり、とても大切なことです。

うちの道場(修心館)では、中伝を取得した者は、任意で添指(そえざし=短刀や脇指)を指しての稽古を許可していますが、僕自身は、常に刀一振のみを腰に指して稽古しています。添指を指すのは祝いの席や大会などの招待客席に腰掛けている時くらいでしょうか。
後は脇指や短刀での業を披露する際に指すくらいですね。

そういう点では、僕が修行時代通っていた居合道場の吉岡先生は博学で、居合のHow to本には書かれていない居合の歴史を、よく稽古の合間に話して下さいました。

「えぇかぁ。居合する者は一本指しやねん。二本指して稽古したらあかん。二本指す時は大小差し違えゆぅ指し方になるんやで。」

そんな吉岡先生のお話が僕は大好きで、今も懐かしく思い出します。
まだご存命ですから、90歳をとうに超え、100歳近いのではないでしょうか。いつまでもお元気であって欲しいですね。



今回のまとめ…


居合は刀一振で稽古するもの