悲壮感 ~刀を傷めるだけの腕試し~
何気なく見た他流派のサイトでなんとも言えない悲愴感に陥りました。
武術としての居合を修練している立場の者が、ましてやテレビで鉄パイプや鉄板などを斬った僕が、このようなことを言うのもおかしいかもしれませんが…
刀は単なる物斬りの道具にあらず
実際の戦闘では、曲がり・刃こぼれなど気に留める暇はないでしょうが、何故に平和な時代の通常の稽古で、健全な刀を潰すようなことをするのでしょうか…
丸太や角材に刀を打ちつけて何が得れるの?
鎖に斬りこんで何が得れるというのでしょうか?
ここの流派では
常の稽古の心得の一つとして、少々の曲がりや刃こぼれなどを気にするようでは、まだまだ・・・・・・と指導しております。
とのことですが、うちは真逆で
「稽古で刀に刃こぼれ、曲がりをきたすようではいけない。」
と教えています。
居合と剣術の違いなのでしょうか…
僕は刀が大好きで、居合は刀の収集の延長から入ったクチでから、刀が壊れる姿を見るのは非常に心が痛いのです。
僕のように刀鍛冶と手と結び、強靭な刀作りの一役を負って、硬物斬りをするのならまだしも、単に購入した刀でこのような荒い使い方をされるのは、僕個人の考えとしては賛同できません。
刀を振る音、全身の動き、それらをつぶさに見れば、試斬に関しては凡その実力がわかるものです。
なにも鎖や丸太に斬り込まなくても…
僕にはここの流派は、ただの自己満足・エゴにしか映りませんでした。
関係者の方、気分を害されたら申し訳ございません。
しかしながら申し上げますと、
丸太斬りたければ鋸を。
鎖切をりたければ工業用のワイヤーカッター?クリッパー?と言うものを使えばよいではありませんか。
鏡心明智
刀は曇りなき鏡の如く
士道権化
士道を権化するものにして
節義護身
大義忠節を重んじ 身を護るため
浄己安泰
己を浄めてこれを帯びるもの也
正しい刀の使い方というのは、人を斬るでも物を斬るでもなく、静に眺めて己の心を映し出し、力をもらったり、気を落ち着かせたりするものだと思います。