耳なし芳一にみる歴史観 | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

耳なし芳一にみる歴史観

耳なし芳一と言えば有名な話ですが、以前から思っていたことがあります。

歴史の教科書などを見ていると、平安末期に平家が驕り昂り、

「平家にあらざれば人にあらず」

とまで豪語していたように描かれていますが、これ、実際のところどうなのでしょうね?

この「平家にあらざれば人にあらず」の言葉、実際後世の創作とも言われています。

驕り昂り、悪政をしいたのであれば、平家が滅んだことを喜ぶ物語ばかりが残り、平家物語のような平家の盛衰を哀れむような物語は残っていないのではないでしょうか。

私自身平家の末裔ということもあってか、かなり平家寄りの考えになっているのかもしれませんが、清盛公は非常に人情味ある心温かい人物であり、本来なら処刑すべきであった頼朝や義経を、幼い子供だからと哀れみ、仏門に入ることを条件に命を助けています。

この時点で平家は持ち合わせた優しさ故に墓穴を掘ることになったわけです。

ここまで恩情をかけてくれた清盛公に対し、弓引いた頼朝と義経を、私は人間のクズだと常々考えています。

頼朝の非人情さは実弟義経を討伐したことからも伺いしれますが、清盛公が自分を助けたことから、やがて身を危険に晒すことになるという学習能力を身につけた頼朝は、平家滅亡後、まさに平家を根絶やしにせんと、仏門に入った者にまで策略用いて命を奪っています。


結論
僕は頼朝・義経等が大嫌いです。そして歴史は常に勝者の都合によって描かれているということを忘れてはいけない。