今日は冷たい雨でけっこう濡れてしまいました。こんな時に車があればなぁ、と思う瞬間であります。まあ、あったらあったで融通が利かないこと(疲れていても居眠りできない、移動中にパソコンが使えない等)にブツブツ文句を言いそうです。
さて今日の本題です。
巷で大騒ぎのWindows10への強制無料アップグレード問題。個人的には、相当無茶しているなぁ、と思うのと同時に、マイクロソフト社の苦悩というよりも焦りを感じてしまいます。望まないアップグレードが勝手に行われる状況に嫌気がさしてMacへ、あるいはタブレットへと移行してしまうユーザーも多いのではないでしょうか。
思い起こせば、自分にとって初めてのWindows=Windows3.1は、CUI(キーボード操作主体)の時代からGUI(マウス操作主体)の時代への幕開けであり、まさに新しい世界が広がっていくかのような興奮がありました。
当時使っていたダイナブック386 SX-001は、青白2階調液晶ととんでもなく貧弱なグラフィック環境でしたが、それでもマウス操作の新鮮さとWindowの概念の斬新さは毎日触りたくなるような驚きの連続で楽しかったですね。
当時はパソコンというと、オタクが集う特殊な世界のように捉えられていたのも懐かしい思い出です。まあ、実際そうだったんですが(笑)。
その後、Windows95、98、Me、2000、XP、Vista、7,8と新しいOSが出るたびにアップグレード版を購入してマイクロソフトに貢献してきました。
パソコンが一般的になって、いつしかまわりでもパソコンを使うのが当たり前になって、それらの人たちが買うのはWindowsパソコン+Officeと、マイクロソフト製品を使うのが当たり前でマイクロソフトの繁栄が永遠につづくように感じたものでした。
翻って今、マイクロソフトというかパソコン業界を取り巻く環境を自分なりに考えてみると、もはやハードウェアとしてのパソコンの性能は頭打ちで、どれを買っても失敗は無いといえる状況になっていると思います。パソコンは既に家電化していると感じます。
そこに入っている基本ソフトももはや現在Windows7、Windows8で必要にして十分、これ以上の何かを要求する人はあまりいないでしょう。
以前のように劇的な変化・進化があればまだ購入意欲は湧きますが、既にもうこれ以上はお腹いっぱいの状態です。むしろ、大多数の人にとって、もうこれ以上の変化は必要ないのです。
そんな空腹を感じない人たちに、Windows10を無料だからと無理やり口に流し込もうとしても拒絶されるだけです。
さらに厄介なのは、Windows10にアップデートすることによって動かないソフトや周辺機器が出てくること。残念ながら再セットアップの労力、失われたデータやドライバーに関する補償はありません。
マイクロソフトというくくりでみるとOfficeについても同じことがいえます。マイクロソフトOffice互換のGoogleドキュメントがあれば、大多数の個人ユーザーはもはやOfficeがなくても何とかなるありがたい時代になりました。
もっと言えば、本家マイクロソフト自身が無料で利用できるOffice互換のOffice Onlineを提供しており、マクロなどの高度な操作を必要としなければ、パッケージ/ダウンロード版のOffice2013/2016を購入する理由は無いのです。
もし仮にあるとすれば、漠然とした不安(マイクロソフトOfficeがなければファイルが開けない、編集できない、という思い込み)だけです。
マイクロソフトとしてはセキュリティ対策コスト低減とかデータ収集などのOSをアップデートする理由はあると思いますが、こんな熟成した時代にほとんどの人が望まない新OSを押し付けるのは流石に無理があるんじゃないかな。マイクロソフトの社員も大変だろうな。無理筋なのは自分たちが一番わかっているでしょうし。
自分自身は、たまたまMacを覚える必然性があって、今やMacを主体に使っているのでWindows10はあってもなくても構わないのですが、20年以上も慣れ親しんだWindowsの栄光の時期を知っているだけにこのドタバタ騒ぎが何とも寂しく映るのです。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・