クラクフの宿を朝6時過ぎに出てルブリンに向かう。

ルブリンのマイダネク絶滅収容所を知ったきっかけは今回の旅程を練っている時に

クラクフからワルシャワへの交通を調べているうちに降って湧いてきた情報で

このマイダネクを知った瞬間に絶対に訪れたいと強く思い、今回のスケジュールにうまく組み込めました。

クラクフからルブリンまではワルシャワと少し道は東にそれますが、ワルシャワに行く途中に寄れるように計画しました。

↑ジェシュフという町で1時間ほど待ってから乗り換え。雨が降っており少し寒かったですが屋内の待合室で待つことができました。

ルブリンのバスターミナルにつき、コインロッカーで荷物を預けてから近くのバス停からマイダネク絶滅収容所跡に向かいました。

ここまではローカルバス一本で着いたので非常に分かりやすかったです。

マイダネクに到着にてパノラマでざっと撮影。今にも泣き出しそうな空です。

こちらもビルケナウと同じく、田舎に広大な収容所が建設されていました。

これが収容所の全体像です。

こちらはナチス軍が証拠隠滅する前に旧ソ連軍によって解放されたのでほぼ当時のままの状態を残しており

アウシュビッツとは違い、生々しさを醸し出しております。

これはマイダネクの慰霊碑。2度と悲劇が起きないようにとの祈りが込められているそうです。

早速、順路に沿って最初のバラックに入ってみます。天気が悪くなってきたせいか、アウシュビッツと比べて人がほとんどいないせいか

薄気味悪さと背筋が寒くなる感覚に襲われます。

上にシャワーみたいなものはありますが、ダミーのようです。とにかく鳥肌が立ちます。

部屋を進むとチクロンB(毒ガス)の空き缶が展示されていました。

ガス室の扉です。重厚で古びた感じと覗き窓が当時の恐怖と戦慄を彷彿とさせます。

ガス室です。復元ではありません。奥に青く染まっているのがチクロンB噴霧の痕跡です。

散布すると青く変色するみたいで、あまりにもリアルでさらに怖さを増します。

この光景を見ていると犠牲者の恐怖と絶望を感じ、体が固まってしまいます。

他のバラックも見てみますが、ビルケナウと同じ宿舎や写真のように囚人たちの靴が展示されてました。

靴の数ほど、犠牲者の無念が伝わって来るようで、悲しみに耐えず心が痛みます。

マイダネクのバラック群です。雨が降り出してきて、悲しみの涙のようでした。

雨足が少し強くなりこのバラックにて雨宿り。

薄気味わるすぎて鳥肌が立ち、1人でこのバラックにいるのにも耐えかね、少し拝見してから外へ逃げ出す。

少し雨足も落ち着いてきて散策再開。

絶対に逃亡できそうにもない2重の有刺鉄線柵があります。

ここにマイダネクの犠牲者の遺骨が埋葬されており、登って中を見てみると遺灰らしきものがありました。

これを撮影する勇気はとてもありませんでした。

この後は強い雨が降り出してきて、追い出されるように走ってバス停へと向かいました。

途中で折り畳み傘をなくしてしまい、泣く泣くこの地を後にしました。

もう少しゆっくりと天気が良い日に訪れてみたいです(本当に怖い場所でした・・・)。


先ほども記した通り、マイダネクは証拠隠滅の前に解放されているので当時のそのままを現存しており

アウシュビッツ=ビルケナウとは違い、観光地というポジションも確立しておらず、絶滅収容所の雰囲気をディープに求めるならここだと思います。

ちなみにナチス軍が作った絶滅収容所は6つあると言われており

アウシュビッツ=ビルケナウが最大規模で当時の様子も残っているため多くの人が訪れているようです。

他にはトレブリンカ、ソビボル、ヘウムノ、ブウジェツ強制収容所があります(ウキペディアより)。

トレブリンカはワルシャワから北東に90kmに位置してますが、ナチス軍により徹底的に破壊され、現在はほとんど面影がないとのことです。


バスターミナルに戻り、バスの予約を済ませ、トイレへ。

30ゾロチを払ってトイレに入りましたがこの有様・・・。

こんな絵面を見ながら用を足すのは・・・

尿意も減退するって・・・。

海外のジョークはきついですね。マイダネクの余韻を全て吹き飛ばしてくれました。

雨もすっかりとやみました。写真右にお城が見えます。これがルブリン城です。クラクフにてお城見物はお腹いっぱいになったので訪問しませんでした。

これからお城を訪問するとワルシャワには夜遅くになってしまいますからね。

右側に色々と建物が見えますが、こちらは旧市街で、マイダネクに行くバスで市街を通りましたが

散歩してみたいほど魅力的なところでした。なんとなく魔女の宅急便のキキの街を彷彿とするような佇まいでした。

この地はワルシャワからワンデートリップで再度ゆっくりと散策してみたいです。