8LP
こんにちは!
私は公州というところでタクシードライバーをやっているユと申します。
お役に立てるかどうか自身がないんですが、こちらの歴史と交通についてご紹介したいと思っておりますので何卒よろしくお願い致します。
公州は一時的に置かれた百済の都でありまして、扶餘(プヨ)とも近いです。
公州には旧石器時代から植民時代(戦前の日本)までの遺跡が市内に集中していますので、その歴史の遺跡をゆっくり巡ってみませんか?
公州にお着きになりますと、川の向こうに公山城(コンサンソン)という古城が目の前に広がります。
あのお城は百済の最後を見届けました。
ターミナルから橋を渡りますとお城の入口をご覧になれますが、その門は百済の最後の王である義慈王(イジャ王)が唐の軍門に下ってきた所です。
その後はおそらく夫餘(プヨ)に連れていかれたでしょう。
プヨには捕虜になった王などが乗っている船を見送ったと言われる山もあります。
後に留王山と呼ばれているこの山は唐に押送される王やその臣下等をしばらくでも泊まっていくことを願って百済の遺民達がこの山で船を待っていてたそうです。
王は再び故国の地を踏むことはありませんでした。

むかし、高句麗と百済の間に戦争がありました。
多分、弔い合戦だったと思います。
百済のほうから今の平壤、高句麗の都を攻め落としたことがあります。
その際に高句麗の王が流れ矢にあたり、戦死しました。
その曾孫の長寿王(好太王の長子)が今のソウル市(当時の百済の都)を攻めてきたのです。
上の画像が当時のお城の遺跡です。
現在は風納土城(プンナップ土城)と呼んでいます。城と町が燃やされましたものですから、高句麗側の恨みは深かったでしょうね。
百済の王が捕えられる際の様子は三国史記に詳しく記述されております。
王がわずかな共を連れて城から逃げようとするところをかつての臣下に見つけられて捕まえましたね。
その臣下というものは裏切者ですよ。
高句麗の王がその百済の王の顔に唾を三度も吐きつけました。
自分の曾祖父のことで込み上げてくる憤怒を抑えられなかったでしょうね。
その後、百済の王は阿且(アチャ)山城で斬首されました。
公山城(コンサンソン)には高句麗の攻撃から防衛するために造られたもので、64年間に渡り、都の役割を担っておりました。
お城は石で築かれておりますが、本来は土で積み上げたものです。
よく見てみると巨大な丘のような様子をしているのがお分かりになると思います。
それが当時の姿でありますね。
それを眺めていると襟を正さざるを得ないものがあります。
城の下には川が流れています。
日が西に沈んでいく頃には薄い黒みをおびた川の面には百済を救うために熟田津で潮時を待っていてた額田王の歌がその川の上に漂っているような気がしてなんかしんみりした気持ちがします。
お城の向うには古墳群があります。
そこには沢山のお墓がありますが、代表的なのは五基の墓で有名なのが武寧王陵です。
武寧王陵以外は盗掘されまして誰のものかすら分かっておりませんが、公州には第22代王から第25代王までの都なのでしたので古来の風習で鑑みれば武寧王陵の上の四基の墓が武寧王の先代ではないかと私は推測しております。
その武寧王陵のすぐ近くに公州博物館があります。

国立公州博物館には旧石器時代から朝鮮時代までの宝物が時代を追っての展示されています。
この博物館のメインは武寧王陵から出土された遺物ですね。
お墓の守護神である石獣を始め,金製の冠、そして墓誌石などが展示されています。
ちなみに韓国には三国史記という歴史書がありますが、その歴史書は高麗時代に過去の資料を基に書いたものです。
その三国史記には墓誌石と全く同じ内容のことが書かれていまして三国史記の記述の正確さが裏付けられました。
博物館には国宝19点、国の宝物3点を含む凡そ2万点の文化財が展示されています。
王と王妃の安置されていた木棺の材料は日本の金松が使用されていますね。
百済時代は日本古代の歴史でもわりに身近に感じられると思いますよ。
石壮里博物館

水村里(スチョンリ)古墳群

ここでは5世紀中葉頃のものと推定される金製の耳環など様々なものが出土されています。
中でも4号墳と5号墳では玉を半分折れたものがそれぞれ発見されました。
それを合わせてみたらぴったり合っていたので一そろいの玉であることが分かったのです。
夫婦、死んだ後も会えたいという美しく切ない百済人の感性に胸がきゅんとなりました。



皆さん!
夫餘をタクシーで楽しんでみませんか。
公州から夫餘はあまり離れていません。
タクシーに乗れば30分ほどしかかからないのです。
夫餘は奈良と雰囲気がよく似ているといわれていますね。
では夫餘の観光スポットをご紹介しましょう。
まずはです。
五重塔が有名です。
美しくて素朴な美しさを保っていますね。
雰囲気が何となく法隆寺五重塔と似ているともいわれています。
この石塔は屋根が軽く反っていまして、木造塔の様式美がありますね。
この仏像は高麗時代に造られたそうです。
微笑みがそれとなく百済の微笑である 瑞山磨崖三尊仏像と似ていますね。
扶餘陵山里古墳群には合わせて7基のお墓があります。
百済の新しい都である扶餘は正確で緻密なデータを基に都市計画が整備されていたといわれています。
お墓も前もって計画された所に造成されていたそうです。
古墳はすでに盗掘されてわずかな遺物しか出土されなかったようです。
でも、古墳群の近いところから百済金銅大香炉と石造舎利龕が見つかりまして、この古墳群が百済王室の墓であることが裏付けられました。
石造舎利龕というものは書かれている内容から百済の昌王の姉である姫が戦場で死んだ父上である聖王を追悼するためにお寺に寄進したものと思われています。
ですので、お寺(今はお寺の跡しか残ってないのですが、、)は菩提寺で、王陵と密接な関係があると推定されます。
王族でない人のお墓は都から離れているところに造られています。
公州と扶餘の旅には百済の歴史を感じられるスポットが時間がいくらあっても足りないくらいたくさんあります。
ご旅行中、観光地をじっくり見て回ったり、美味しいものを食べながら、自由に旅をお楽しんでみてはいかがでしょうか。
旅行にはいろいろ楽しみ方がありますが、私は日本語が少し話せますので、観光名所を同行して通訳を務めさせていただきます。
タクシーなら荷物の持ち運びの手間もなく、観光ルートも、時間帯も、お好きなように決められます。
観光が終われると、宿泊ホテルや、高速バスターミナルなど、お客様のご希望の目的地まで お送りすることができます。
お迎え
ご指定の場所にてお客様のお名前が書かれたボードを掲げてお迎えいたします。
待ち合わせをなさる所はご自身の都合の良いところでけっこうです。
ご利用料金
初乗り料金は4000ウォンになります。
メーターの上がりは約 85メタルを走りますと100ウォンほどが上がっていくシステムになっております。
夜は10時からは30パーセントの割増料金が適用されますので5200ウォンになります。
(ちなみに韓国旅行にはカカオ タクシーというアプリをご利用していただければ便利ではないかと思います。)
貸切りは一日で19万 ウォンです。
お食事を挟む場合でも、ドライバーは車内で待っていますので、ご安心ください。
ご予約の案内
ドライバーの携帯番号:82-010-9894-6197
(携帯番号の前に韓国の国番号である‐82‐を付けて電話をかけます。)
一応、国際電話になりますので、電話をなさるのが難しいようであれば、下記のラインかメールアドレスにお問い合わせください。
配車のご案内
1日目 公州
午前 9時 お迎え
午前9時30分 公山城 見学
午前 10時30分 武寧王陵 見学
12時 正午休憩
食事やお茶の時間 及び 市場の見学
午後 1時 30分 博物館 見学
午後 3時 石壮里(ソクチャンリ)博物館 見学
午後 4時30分 水村里(スチョンリ)古墳群 見学
午後 5時~6時 ご希望あれば 甲寺 見学
午後8時 お送りいたします。
2日目 扶余
午前 9時 お迎えに参ります。
午前 11時 扶余博物館 見学
12時 正午 休憩及び 市場見学
午後 2時 扶余王陵園見学
午後4時 官北里(クァンブンリ)遺跡と扶蘇(プソ)山城 見学
ご希望あれば5~6時 無量寺見学
7~8時 お送りいたします。
要所ごとにお客様のご要望ございましたら、休憩いたします。
メールアドレス:moegara@naver.com
ラインID:isanzosan














