ようこそ〜

はるばる公州まで長旅お疲れさまでした。


普段、こちらに来られた観光客が道に迷わずに気軽くあちこちを見に行かれるように道案内をしたいと思っていました。

なにとぞよろしくお願いします。



これがターミナルです。


ではそろそろターミナルを出ていきましょう。

ターミナルから博物館まではご観覧時間入れて4~5時間ぐらいの探訪コースだと思います。

ご訪問先の要所ごとにトイレや休憩所があります。


この薬局とコーヒー店の間を過ぎて外に出ます。






十字路みたいな四つの角が見えて横断歩道があり、簡易駐輪場もあります。

ちなみに後ろの方がタクシー乗り場です。





ではそこで右に曲がれば遠くに山が見えるはずです。

この山が最初の訪問先であるお城です。





そのお城を眺めながら2~3分ぐらいまっすぐ行った突き当たりに広い道路が現れます。そこで右に曲がれば歩道橋があります。

この歩道橋を渡っていけば赤い色の自歩道なのでまっすぐ行ってください。

歩道橋が少しきついと思われる方は歩道橋を素通りして次の横断歩道で信号待ちをして反対側の道路を渡ってくださいね。






この辺で川が見えるでしょう。
それが錦江(グムガン)です。
年々、川は細くなりつつありますが、今も堀のように城を守りながらぐねぐね流れていますね。




ここが錦江鉄橋です。

戦前、日本時代に日本のエンジニア達が造りました。

当時はけっこう珍しくてわざわざ見物に来たそうです。



橋を渡れば山の裾に熊の塔のある小さな公園があります。

そこを左側に少し曲がっていけばすぐ近くがお城の入り口となります。



ここがお城の入り口で錦西楼(グムソル)です。

私の幼い頃にはソムンーゴゲ(西門峠)と呼んでて城内の村の人々が往来していました。

牛とのろのろと夕日を背にして峠を越える農夫の姿は絵のようなものでしたね。



チケット売場の左側に訪問者センターがあります。


こにはお城の歴史や構造や出土された遺物の写真などが展示されていますので、どうぞお気軽に!




城の中は広くて険しいので城の中まで見て回るのはけっこうきついでしょう。








旅の疲れもあるし、時間の余裕があるときに軽いトレッキングがてらお城の中を歩いてみたらいかがでしょうか。



ここのはす向かいにポツンと4階のビルがたっているところにコンビニがあります。








お城の向こうは食堂やコーヒー店などが立ち並んでいますけど、もともとは沼でした。



では横断歩道を渡って次の訪問先である武寧王陵に行きましょう。





円形交差点の島にはこの次の訪問先の武寧王陵のあるじである王の銅像です。
この人の先代の王たちはあまり実権が持てなくてほとんどが若くて暗殺されたりしました。この人も先王が暗殺されて王位に次ぎました。

彼はすぐに暗殺に企てた勢力を平定しましたが、

その時に城で籠城していた反乱軍はほとんど無抵抗だったこともあって、この銅像の人物が先王の暗殺に関わっていたのではないかと歴史家の中でささやかれています。

この人が政治の不安定な時代に幕を下ろして国を立派に立て直したのです。

銅像は王が在位中、中国の梁に使者を派遣して国書を送った時のことをイメージしたのです。

その書物には"累破句麗 更爲强國" と書いてあります。それは何度も高句麗と戦って破って、再び強い国になったという意味らしいです。


この絵は朝貢の様子を現した梁職貢圖の一部で、521年、この銅像の人物が遣わした百済人の様子もカラフルに描かれています。




横断歩道を渡れば王の墓に通じる道という意味の埏門(エンモン)があります。

ここを過ぎてまっすぐ行けば両側に回廊みたいな屋根のついた橋が見えます。






橋の下にはには濟民川(ゼミンチョン)という小川が流れています。



この小川は凡そ4キロの長さで公州の旧市街をほぼまっすぐ流れていて、市民に愛される憩い場でもあります。



そこで左側を見上げれば鸛岩(コウノトリの生息地)の遺跡があります。


18世紀頃から19世紀までキリスト教禁止令でカトリック教信者250人あまりがここで処刑されました。



橋から右側には中学校がありますね。

この学校は野球の名門です。

野茂選手のドジャース時節の同僚であった朴チャンホ選手の母校でもあります。



ちなみにこの学校の前の右側の横道に行けば艇止山(ジョンジサン) 遺蹟です。





王の後に亡くなった王妃の棺を安置して置いた建物の遺跡で殯宮(もがりのみや)などが発掘された場所です。



ここからは緩かな勾配の坂です。






みなさん!右側に何か見えてきませんか?


ここは歩道と歩道が途切れるわずかな道(車道)ですので気をつけて渡りましょう。

ここが宋山里古墳群であり、武寧王陵がある所です。


この道を右に曲がれば広い駐車場が見えますが、そこがチケット売場です。






チケット売場

チケット売場から下の方に下りていけば熊津(ウンジン)百済歴史館 があります。


熊津(ウンジン)百済歴史館 







武寧王陵と博物館に行く前にここに立ち寄ればもっと観覧が楽しめると思います。
ここには休憩スペースもありますし、都 をここにうつす過程や百済の歴史を理解するに役立ちます。
観覧後、エレベーターに乗れば武寧王陵に行く道に通じます。



ここには観光案内所があって、日本語、英語が話せるスタップもいます。
どうぞお気軽にお立ち寄りください。




向こうの建物は市立芸術会館でその隣のビルは図書館です。







古墳群の少し先の建物は百済五感体験館です。

ここは子供に人気のある施設で百済の歴史や博物館の遺物を立体的に体験できる8つのテーマ館があります。

ここには記念品売場や喫茶店もあります。



ここからは下り坂なので歩きやすいでしょう。

では、最後の訪問先である博物館まで行きましょう。






右の建ち並んでいる韓屋群は韓屋村(ハンオクマウル)です。


中には、コンビニや食堂があります。




 

遠方には川(錦江)に沿って松林が広がっていますが、その辺りが渡し場で、ゴマナルと言います。






ついでにこの川と向こうの山にまつわる伝説をご紹介します。



昔、松林の向こうの山に熊が住んでいました。

ある日、ある男がその山に薪を取りに行ったところで牝の熊に拐われました。

熊はその人が気に入って返さなかったのです。

二人の間には子供も生まれました。

やがて年月が立ち、男は故郷にいる家族のことが気になって隙を見てひっそり洞窟を抜け出し、川を渡って帰りました。

熊は川を渡っていく夫を見つけて悲しくて子供と一緒に川に飛び込んで死にました。

その後、熊の霊を慰めるために霊殿を作って法事を行っていたそうです。





韓国では建国説話を始めトーテミズムに関する説話が多く伝わっていますが、この話はなんか切ない気持ちになりますね。

色々解釈があると思いますけど、お寺の壁画などには仏様に仕えている様々な動物が描かれていますね。

昔から自然とか動物に対する何だかの理由で人に崇められていたと思います。

この伝説は人間に原罪みたいな罪を受け継がれて生きなければならないことをほのめかしているような気がします。




   

もうちょっとで着きますけど、交差点が見えますかね。

ここの交差点で右に曲がれば突き当たりの方が博物館です。


向こうにあるのはゴマアートセンターという市の文化施設です。







最後までお読みになってくださりありがとうございます。
どうか良い思い出をたくさん作ってください。