墓所からの帰り、清銭の使用に対し、デモが起こっていると聞いて、興仁門の現場へ寄る。後から後から抗議に押し寄せているのは商人達だった。

原因は、緊急輸入した清の銅銭が偽造されて、市場へ大量に流れていることにあった。


サンは4日間もまともに眠らず仕事に没頭した。寝床できちんと休息を取って欲しいと執務室までわざわざ迎えに来たナム尚膳には、こう言った。

「これしきのことでは倒れはしない。地方に広がるニセ銭の状況を把握しなければならないから」

ナムは仕方なく執務室を後にすると、前庭へ控えていた尚宮に、王様は熱がおありのようだから御医を呼ぶようにと、深刻な様子で指示した。

王様への報告のため、執務室の前庭へ現れたヤギョンには、急ぎでなければ日を改めるよう断りを入れた。


そのためヤギョンの報告は、翌日の会議でとなった。参加者の顔ぶれはサンの他、パク・チェガ、ヤギョンなど検書官6名である。

店を再開できずにいる商人達からサンは直接、話を聞こうと、ナムを伴い、お忍びで市場へ繰り出した。

それから鋳造工房を見学し、すぐその足で、今度は銭の保管部署へ立ち寄った。

四角い穴あき銅銭の詰まった赤い板箱が、使い道のないまま土埃とともに壁の両側へ積み上げられている。問題は、追加分がさらに清からまもなく到着予定だということである。


御前会議を召集し、サンが重臣らに向け発表した解決策は以下の通り。

「清の銅銭の流通令を撤回する。回収によって朝廷は莫大な損失を被るが、民の生活を脅かしてまで信用できない通貨を使うことはできない。これが最善の策だと私は思う」


サンもたびたび鋳銭所に足を運んで、検書官らと一緒に、文献と銭を虫めがねで照らし合わせては、もっと安く銭を鋳造しようと、新種の鉱物の調査に取り組んだ。

磁鉄鉱を使った硬貨の見本をヤギョンが持ってきたとき、サンは昨夜からの泊まり込みで、本当はもう支えなしで立ってはいられない状態だった。しかしヤギョンには、ただ王様が何となく、椅子の背に手をもたれているくらいにしか見えなかったようだ。

サンは銭を指でつまんでよく眺めてから言った。

「常平通宝と比べてみたい」

「では取って参ります」ヤギョンはいったん部屋を去った。


王様が鋳銭所で倒れられたとの一報が中殿に入る。

年老いた恵慶宮は嘆き悲しみ、心配のあまりその場に倒れ込んでしまいそうだったが、持ち前の芯の強さで気力を奮い立たせると、慌ただしくサンの寝室へと飛んで行った。

御医はサンの枕元で中殿らにこう病状を告白した。

「体中に腫れものが出ております。それが膿んで高熱を発したため気を失われたのです。熊臓膏を処方していますが、意識の回復は何とも言えません。加減逍遥散をお出ししましょう。王様もこの処方を望んでおられましたので。これまで医官が反対していましたのは、解熱効果はあっても腫れものには効かないからです。ですが腫れものの治療はあきらめます。3日以上、熱が下がらなければこれ以上打つ手がありません」


御医や医官、医女たちがそれこそ付きっきりで、念入りに王様の看病をした。

しかし3日目の夜には、金の燭台と、模様のついた黄色いろうそくを残して、彼らも全員、部屋から引きあげていった。

サンはまだ深い眠りから覚めようとしない。息をするたび、花の刺繍をあしらった絹の掛け布団が、胸のところで持ちあがる。四角い枕へ置いた頭は、哀れにもぐらぐらと揺れ続けた。唇は乾いてしぼみ、ときどきソンヨンを呼んでいるかのような形に開いた。

ふっと迷路のような格子模様の丸障子に人影がさし、花と副印の銀の刺繍をあしらったスカートのすそから、白い足袋が出て敷居をまたいだ。小さめのその足は、病人を起こさないよう、王様に忍びより、赤い盆を床へ置いた。てっぺんのリボンを持ち、布を取り払うと、煎じ薬の入った白磁の器があらわれた。

ソンヨンは目の周りを涙で赤く濡らして、いかにも懐かしそうに、まるで自分の大切な子供でも見るように、サンをのぞきこんだ。

どうしてもっと体を大切しないのかと、責めたい気持ちも少しある。しかし仕事をやめろと言うのは、やっぱり無理に違いない。だからこそより愛しく、可哀そうでならなかった。

ソンヨンは白いひげのまじったサンのやつれた顔に、自分の小指を流して、手のひらで頬を包みこんだ。

ぽたりと落ちたソンヨンの涙が皮膚に当たって、サンが薄っすらと眩しそうに目を開けた。

手を伸ばしたいのに、重くて動かない。するとソンヨンがサンの手を取り、抱き込むように握り返した。かぼそい息しか出ずに声にもならないまま、サンは話した。

「そなたなのか。そこにいるのは…。ソンヨンなのか」

「はい。王様、私です。私はここにいます。元気を出してください。まだ王様にはやるべきことが残っているではありませんか」

ソンヨンは微笑みながら泣いている。ソンヨンとしっかり目があったことで、サンは何だか急にホッと胸をなでおろした。

大殿の前庭が急に慌ただしくなったのは、その直後である。

御医から知らせを聞いて、中殿らもナム尚膳と一緒に寝室へとバタバタと入っていった。


「王様、私です。お分かりになりますか?」

中殿が涙目で、サンの顔をのぞき込んだ。

ナムも顔を輝かせて後ろに立っている。それから医女が薬を飲ませようと、寝床からぐったりした王様の体を起こした。しかし王様がお尻の真ん中の骨だけで座っているので、コマのように後ろへ倒れてしまわないかと、首と肩を支える必要があった。

皆の目には意識もうろうとした状態に見えても、サンの頭の中は冷静だった。

さっきまでそばにいたソンヨンがいないのが残念だった。まだ死ぬには早すぎたかと、自分でも面白おかしく思った。


サンは何とか自力で座イスに座っていられるようになると、1日中、卓上机の前で上奏文に目を通した。

ナムやテスは心配し、また忠告もしたが、サンにとってみれば、残りわずかな時間だからこそ、1秒も無駄にできなかった。

新しい上奏文を盆にのせ、部屋に運んで、ナムはまたすぐに外へさがった。

サンは丸めがねを手に取り、おぼつかない手で両耳にひもをかけた。レンズの位置を落ちくぼんで腫れた両目へしっかり合わせても、上奏文の文字は、いつまでも大きくかすんでいる。1つ読み終わると筆を取り、紙にできるだけ目を近づけ、署名していった。また次の上奏文を広げて、署名する。羽の折れた白鳥のように、首と顔をうずめて一人孤独に、夜が更けても延々とこの作業を繰り返すのだった。


王様に呼ばれて、テスが大殿へ顔を出した。

幼い王様はテスを見るなり、親しげに笑い返して、まるでいたずらでもしたみたいに、肩をちょこっと、すくめてみせた。純祖、第23代国王である。

亡き王様の友人とあって、テスにはよく懐いていた。テスは純祖と一緒に、時敏堂へ散歩に行った。

「私が11歳の時でした。私が亡き王様にお会いしたのは」

「今の私と同じ年頃だな」

「はい。そうです、王様」

サンとの思い出話は、純祖の方から聞きたがった。


サンの墓は石の飾り柵と塔で囲まれている。塚の方は、周りの松林と同じくらいの高さに盛ってあった。

テスは墓へ話しかけようと、石碑の厚いテーブルに手をのせた。大きな丸脚の台座にのせてある分、肩と同じほどに高い。今の時期は供え物もなく、まっさらしていた。

「王様、いかがお過ごしですか。宣嬪様とは再会されましたか? 決して終わってはいません。止まってもいません。いつしか民は王様の夢を形にしてくれるでしょう」

テスは丘を振り返った。足元の向こうは、芝生がぷっつり途切れた水平線になっている。そのずっと下降に広がる景色は水原の都だろうか。

テスの目には、はっきりと見える。

時敏堂で偶然、出会った幼い子供は、王子と図画署の茶母に成長した。その若い2人が、天国で再会し、手を取り合い、まっすぐ歩いて行った道は、宮中の賑やかな催事が開かれてきた仁政殿の敷石の広場であった。



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