保育園から高校二年生になるまで、私は必ず教師と衝突していました。

正直、教師と言う存在にいい印象がないのです。それは私の中に深く刻み込まれている記憶に原因があります。

 

保育園時代、最初に通っていた保育園に行くのが私は嫌で嫌で仕方がありませんでした。

園の門まで来ると、急に保育園に行きたくない気持ちが爆発。

「置いていかないで!」と仕事がある母親に泣いて縋りついていました。

そんな私を嘲笑う同い年の仲間の姿を記憶しています。

担当教諭は年配の女性で、保育園が嫌で泣き喚いて暴れる私に何時も手を焼いていました。

この先生には大嫌いな食べ物を強引に口に入れられた記憶もありますし、別の子を叱っていた時に傍にいた私に向かって「夏秋ちゃんも、何時までも来るときに泣いているんじゃないよ!」とついでとばかりに叱られた記憶もあります。

だから保育園は私にとって監獄同然でした。


二つ目は小学四年生の時、バリキャリみたいな先生が担当教諭でした。

理路整然としていて、頭の中がお花畑の私との相性は最悪でした。

私は何度も何度も仮病を使って学校を休みました。とにかくこの先生と会う日を減らしたかったのです。

 

この先生での一番苦い記憶は、運動会の練習の時。

全学年の練習で、マイクを使ってみんなの前で私が皆と動きがあっていないことを指摘しました。

だけど何処がどう合っていないのかを説明してくれなくて、私は羞恥心と自己嫌悪で泣きながらレッスンしていました。

しかも私の動きが合うまで他の子も付き合わせるので、皆からは非難の目を向けられる始末。

何度目かの練習で、前列に座っていた男の子が敵意をむき出しにして私に「いい加減にしろよ。」と言いました。

結局、どこがどう違うのかは最後まで説明されませんでした。

この日から、私は運動会が嫌いになりました。

 

さらに時は飛んで、高校生の時。

私は英語が壊滅的にダメで、補習授業を受けていました。

 

その時、どうしても分からない箇所があったので先生に質問をしました。

ところが先生は私の質問を一蹴。自分で考えろと言いました。

イマイチ納得のいかない私。くさくさした想いを抱えていると、その隣の席にいた女の子が私と同じ問題で質問をすると、先生は何故だかその子にはすんなりと教えていました。

 

この扱いの差に私はキレ、その日からその英語教師に対して徹底的に嫌悪感を露わにしました。

そしたらその教師は担当教諭は学年を統括している教師に相談し、その教師から担当教諭の耳へと入りました。

どんな説明を受けたのかは知りませんが、担当教諭は烈火の如く怒り、私の言い分を聞かないまま、私を怒鳴り散らしました。

さらに後日、学年を統括する教師からもくどくどと説教を受けました。結局、その英語教師の言い分が全面的に認められて、私の話は誰にも聞いてすらもらえませんでした。

だから英語の授業がますます嫌いになりました。