北里柴三郎博士顕彰委員会は1月29日 北里の誕生日に合わせ松川遊歩道で顕彰会の除幕式を行った
熊本県にある北里柴三郎記念館の館長でもある北里のひ孫 北里英朗夫妻が訪れる場面も
新千円札の肖像 北里柴三郎は静岡県の伊東の地に縁がある
カエイ(嘉永)5年12月 熊本県に生まれ 18歳で熊本医学校に入学
明治22年 世界初 ハショウフウキン(破傷風菌)の純粋培養に成功
翌年には破傷風菌毒素を中和する抗体を発見
さらに血清療法を開発し 伝染病の有効な手法となった
明治25年に帰国すると福澤諭吉らの援助を得て私立伝染病研究所を設立
大正2年 北里は当時の伊東町に3千坪の別荘を構えた

白い別荘は後に北里別荘を譲り受ける野間別荘であり 右手の平屋が北里別荘である

別荘内には大正時代には珍しい水洗トイレを設け 別荘の離れには日本初となる屋内温泉プールを造り温泉療法を実践した
北里の千人風呂とも呼ばれ 医学者はもとより 政治家 実業家 皇族等が訪れ 一般開放もされた
プールの規模は20m×10mの 畳に換算すると百畳分という豪快なプールで 男女別に分かれており 大半の深さは2mもあり小舟を浮かべて遊べた
北里が伊東市を選んだのは豊富な湯量にあったとされる
ドイツ留学中に訪れたハンガリーの首都ブダペストで温泉療法するひとらの姿を見て 日本でも実現しようと決意したという
また 大正3年には通学する児童のために私財を投じて松川に橋を架けた
北里が丸太で組まれた橋を渡って通学する児童を見て危険を感じたのがきっかけである
その後 災害の影響で橋は3度にわたり流失
大正10年 市内初のコンクリート橋が完成
現在も通学橋の名で松川遊歩道に残る
その他にも北里は鉄道誘致運動に協力し 後の伊東線開通にも繋がる
北里は伊東をこよなく愛したが 別荘は大正12年 講談社創業者の野間清治が譲り受け 平成13年に別荘は取り壊され 現在では野間自由幼稚園として世界的建築家 安藤忠雄が設計の園舎が立つ
それとは別に 右書きで千人風呂とあるはずが
「万」の旧字で「萬人風呂」と記載されている
これは 大正12年 北里別荘温泉プールに続き
通学橋側に隣接する岸別荘が温泉旅館千人風呂として営業を始め 昭和にかけ 伊東や下田に千人風呂を営む旅館が建ち 他との比較を図るために「北里の千人風呂」から「北里の万人風呂」と呼ばれるようになったと思われる
なお 下田にある「千人風呂 金谷旅館」には
15m×5mの浴槽ではあるが 今でも当時の千人風呂の面影のまま営業している