猿橋撮影スポットから振り返り遊歩道を下っていくと猿橋遊水舎がある



猿橋を下から撮るには それしか術がない








対岸に渡れたとしても岩場を越えるのは困難だ

救命胴衣着用のもと 船頭さんの手漕ぎで進行する

調度乗り場から下流へと流れは緩やかになる

始めに現れるのは新猿橋だ
実は 新猿橋は下流側にもある








アーチ橋が四本も跨ぐ桂川渓谷

切り立つ渓谷の為 近年の異状な雨量には右の展望台も水没するときがあるという
草木の生えていない岩場が水に浸かる部分なのであろう








展望台からの猿橋は こう見える
身を乗り出しても全体を撮ることはできない








船頭さんの案内で見上げると そこは渓谷を跨ぐ四本の橋を写真に収められる場所であった
非常に珍しい光景だ








猿橋を望む
全体を写真に収めるには草木の少ない冬場が良いようだ


昔と比較してみよう

岩場の形状から察するに猿橋の位置は変わってないようだが 当初の猿橋の位置まで断定することはできない








解明するには 刺さっていた8本の柱 ハネギ(桔木)の跡が鍵となるのだが 茂っている為 容易ではない


こちらの猿橋は下流側から撮られたものだ



かつては甲州街道の橋でもあり 自動車が対面通行可能な幅員の時代もあったが 現在では江戸時代の幅員に戻り 人道橋となっている







興味深い写真もある
水路橋の奥に鉄橋があったことが見て取れる


桂川の河川は広い印象に対し 付近の河川は急激に狭まり渓谷になっている
これは数千年前 富士山の溶岩流が桂川に沿って この地に流下し 長年の侵食作用により渓谷へと変貌を遂げたからである 



水路橋だ
明治45年に建設された水路橋は100年以上経った今も変わらない


そして奥に見える赤い橋がもうひとつの新猿橋である
鉄橋は水路橋と新猿橋の間にあったという








鉄橋が残存していれば桂川渓谷には5本もの橋が架かる異様な光景になっていたのだが 鉄橋が撤去された後 新猿橋は新たな甲州街道として架けられた為 そもそも橋が揃うことはなかったのである
ちなみに鉄橋や軌道跡は付近を走行する中央本線の旧線にあたる








ここで折り返しとなる





当時の最新技術が採用された鉄筋コンクリートアーチ橋
水路両端の通路にあたるコンクリート柱のコウラン(高欄)は角が丁寧に面取りされた当時の仕上げが残る








現代に劣らぬ技術が明治45年にあったというのも感慨深い



岩肌には創建時の柱跡が残る


私が猿橋の存在を知ったのは最近のことである
三奇橋の名称も初めて知った


春夏秋冬 映えそうな桂川渓谷・・・
再訪は紅葉の秋だろうか