涙流しながら「あ…そうか。これは夢なんだなあ。」とうっすらと気づきはじめる。
夢だとわかった後も、決して安心するんじゃなくて、
それでも心済むまで、
気持ちが落ち着くまで涙を流そうと思う夢。
それが祖父の夢。
甘えっぱなしで、最期までしっかりした所を見せてあげられなかったなあ。
安心させてあげられなかったなあ。
でも孫ってそんなもんなんだろうか。
それも含めて許されちゃったりするんだろうか。
口数の少ない父方の祖父も、ユーモア満点の母方の祖父も、交通関係で仕事を一途にやってきて、
定年を迎えた後は、それぞれの余生を楽しんで生きてきた。
常に学ぶという姿勢をくずさなかった父方の祖父は、陶芸家になり、実家には本格的な焼き窯もある。
社交的な母方の祖父は、俳句や浪曲やカラオケ会での趣味の集まりの中心で動く非常にアクティブな人だった。
それぞれがこんなに楽しんでいるのに、病は全てを奪ってしまった。心も身体も。
二人の充実した笑顔を見ていたから、
そこから去りたくなるほどの“病の苦しみ”とは一体何なのかがわからなかった。
神仏がこの世にいるのなら、何故そこまで、命や希望を追い詰めてしまったんだろうか。
何も悪い事はしてないよ。
少なくとも自分にとっては最高のおじいちゃんだよ。
自分は初孫だからきっと抱き上げられた回数も多いと思う。
でもきっと一番頼りない孫だよね。ごめんね。
だけど祖父は今の自分を見て、「泣かなくていいよ」と言うんだろうか。
…言うだろうな。
そもそも言わないわけがない。
そう言われる事はわかっていても、
数年に一度、夢の中にぼんやりと現れてくれると、どうしても涙が止まらない。
夢だとわかっていても、
夢から醒めても、止める必要もないと思ってそのまま朝を迎える。
祖父を突然亡くした悲しみ。
でも、それは実父を突然亡くした父親と母親の悲しみ。
不死には憧れど、
人の一生が楽しいばかりの永遠だと、それはそれで世界が混乱するのかもしれない。
でも絶望が最期なんてあまりにつらいよ。そんなのかわいそうだ。悲しすぎるよ。
せめて絶望の先にやさしい何かが見えていたからだ、と信じさせてほしい。
そのやさしいものに向かったのだと。
3月11日の震災は前触れもなく突然多くの命を奪ってしまった。
命の順番には大きさも性別も何も関係がなかった。
それを思うと、何が、どう行くと、どうなのか…もう、わからなくなってしまう。
誰にとっても、誰の事でもそれはとても悲しい事だから。
命を比べる事はできない。
長く生きてきたおじいちゃんも、生まれたばかりの赤ん坊も、みんな「命」。
うまく言葉にできないな。
やっぱり言葉って難しいよ。
情けないほどシンプルだけど、
孫の言葉だから祖父にはきっと伝わると信じて…
「おじいちゃん、どうか幸せでいてください。
あの笑顔でいてね。」