昔から『合唱』というものがどうも苦手です。
音楽の時間は大好きだったけれど、
喉の使い方というか…歌う時の声の出し方が、どうにもこうにも全然わからない。
どうやったら周りみたいに歌えるのかがさっぱりわからなかった。
家で歌う事は好きなのに、それが昔からかなりのコンプレックスで、人前で歌うのが大嫌いだった。
カラオケが流行り出した頃、親戚家族に連れられて行った時、
初めてマイクを握って単独で歌った時の事を覚えている。
テレくさいのを我慢しつつ歌ったら、まあ見事に親戚のおじさんに大笑いされちゃってね。
もう人前で歌うもんかって、当時は結構傷ついたもんだったけれど(笑)。
流行りの歌も皆と同じように歌えないし…
外で歌えないストレスを家の中で発散するが如く(笑)歌うか、絵を描いてるか…という“引きこもり最前線”な幼少時代だった。しみじみ…。
話す時も、「変な声」だと言われるものの、それがどれだけ変なのかがわからなくてね…。
今から思い返すと、
…己の世界だけで生きているような…人の目を見る事も怖くてできない妙に暗い小学生時代だったもんだから(←暗黒の時代)、
とにかくボソボソ話すし(しかも結構早口だった)、滑舌悪いし…かなりひどかったんだろうね(苦笑)。
中学で、「静かに音楽に生きよう…」と吹奏楽部に入ったら、これが予想に反してかなり体育会系で、
随分色々と鍛えられたし、
高校1年の頃に演劇部に所属してからは、滑舌も徐々にマシになっていった気がする。
でも実は、今も長い文章とかを読むと結構アゴが疲れるんだよね。
“よっぽど意識しないと相手が聞き取りにくいだろうから…”と力が入っているんだと思う。
歌は相変わらず、人前で歌う度に惨敗していたのだけれど(苦笑)、
懲りずに歌い続け…いつの間にやら、今こうしてバンドで歌わせて頂いているので、本当にありがたい事だと思っています。
(メンバーの皆にも心から感謝!)
劣等感と共に歩んでいる自分だけれど、
こんな不器用な自分にも“音楽”は平等なんだなあ、と。
例え皆と合唱が上手くできなくても(笑)、
…音楽は宇宙のように広い。
ただそこに浮遊しているだけでも充分音楽は優しく心を包んでくれるし、
自分が動き出せば、音楽はそれに合わせて五線譜で受け止めてくれる。
音楽にはいつも深い感謝でいっぱいです。
聴く、奏でる、一体になる…。
音楽は、色んな景色や色彩を心に映し出してくれる映写機のようだなあと思う。
その見える“映像”は一人一人違うのも面白いし。
だから、1枚の写真や絵より、もっと深いのかもしれないね。
皆さんが好きなその曲からは、一体どんな世界が見えるのでしょうか…?^^