熊の会 熊野詣 ~Episode 6~

 

こんにちは!
こちらのブログでは“熊の会”3人による熊野詣記録をご紹介しています!今回は第6回目、「エピソード6」をお届けします。

●JR阪和線 山中渓駅(JRはんわせん やまなかだにえき)
今回のスタート地点はJR阪和線の山中渓駅。だんだん自宅から遠くなってきました。午後から雨が降り出すという天気予報を受けて、頑張って集合を30分早めたのですが、スタートしようとした時には既に振り始めており、傘をさしてのスタートとなりました。


●山中関所跡(やまなかせきしょあと)
県道64号線を南進。このあたりは江戸時代までは難渋を極めた街道でしたが、紀州徳川家の参勤交代の必要によって街道整備され、江戸時代には大変繁盛し山中関所が設けられたとのこと。関所あとを示した札が建てられていました。


●境橋(さかいばし)
少し進むと有るのが境橋。泉州と紀州の境にかかっている小さな橋ですが、江戸時代最後の仇討の場として知られています。仇討が公に認められていたこの時代ですが、土佐藩士 広井磐之助が父の仇である元同藩の棚橋三郎を斬殺した「境橋の仇討」の場所と記されています。そして熊野詣ではいよいよ和歌山県入り!


■第24番王子 中山王子(なかやまおうじ)
県道からJR阪和線の線路を右に渡って少し進んだ所に中山王子があります。雄ノ山峠への登りを控えて、準備と休息をするために設けられましたが、明治時代に春日神社に合祀され、旧跡も鉄道の敷設によって無くなったとの事です。しかし、さすが熊野詣を観光の柱のひとつとする和歌山市。これ以降の王子においても青い案内板と三角形の石碑でもって、分かりやすく場所を示してくれていました!


●雄ノ山峠(おのやまとうげ)
境橋を越えてからは、しばらくだらだらと上り坂。これが雄ノ山峠越えの道です。途中の左手藪の中に小さな祠に入った不動明王の石像が。旅人の安全を見守ってくれています。それにしてもこの県道64号線、歩道もなく歩きにくい。しかも降り続く雨。頭上を渡る阪和道の高架橋の高いこと。よくこんな道路を造れるものだなぁと
感心しました。(レンズに水滴がついていました…)


■第25番王子 山口王子(やまぐちおうじ)
下りに入ってしばらく進むとY字の分岐が有り左に入ります。案内表示があったので迷いません。その先右手に山口王子が有りました。手元の資料には、かつては東西に長くその北に「白鳥神社」が有ったと記されています。笠朝臣 金村という人の詠んだ万葉歌碑が建てられていました。


●山口神社(やまぐちじんじゃ)
雨の中、Google Mapで本来の熊野古道ではない田畑の間の道をショートカット。すると道の真ん中に立派なカタツムリが!久しぶりに見ました。そして立ち寄ったのが山口神社。古くは日吉・春日神社といわれましたが明治42年に中山王子社・山口王子社・白鳥神社などを合祀したのを機に改称したとのこと。昔は神輿などが出る祭礼が行われていたと書かれてますが、いまは寂れてしまっていました。それでもまっすぐに延びた参道は趣があり、良い感じでありました。


■第26番王子 川辺王子(かわべおうじ)
更に手元の地図、と言うよりもGoogle Mapを頼りに進み、川辺王子に到着。鳥居や社殿があり比較的面影を残している王子社跡。他の王子もこのような感じだったのでしょうか。いつの頃からか八王子社と呼ばれていたと書かれていますが、「紀伊続風土記」には現在の力侍(りきし)神社が川辺王子であろうと記載されており、また、他の文献にはこの地和歌山市上野の小祠とする説もあるようです。昔の人に聞いてみたい!


■第27番王子 中村王子(なかむらおうじ)
そして、住宅や田んぼの間をくねくねと進むと、青い案内板が。王子社を連想するものは何も残っていませんが、この地は紀州に入って初めての難所というべき紀ノ川の渡河をひかえ、休憩と準備の場として重要であったと記されています。後鳥羽上皇の熊野詣に帯同した藤原定家が記した「熊野御幸記」では、中村王子へ参った後、休憩・昼食をとり、臨時に水垢難をとって御幸を待ち受けたと記しているとか。この書物、現代語訳で出版されているなら、一度読んでみたい!


●力侍神社(りきしじんじゃ)
そして力侍神社です。こちらが川辺王子であるという説もあり、社殿は力侍神社本殿と八王子神社(川辺王子)が並んで配置されています。祭神の「天手力男命」から力士の称が生じ、今日の「力侍」の字があてられたと記されています。


そして私たちは紀ノ川渡河の前に昼食。これまでの道中は全く店らしきものが無く心配していましたが、国道24号線に出た所に複数の飲食店があり、その中のひとつ‟香の川製麺”に入りました。依然として雨は降り続き、ようやくひと息つけた感じ!


●紀ノ川
国道24号線を西に進むと紀ノ川に架かる川辺橋が見えてきました。大台ケ原に源を発する吉野川が和歌山県に入って紀ノ川と名前が変わります。手元の資料では、有吉佐和子の小説「紀ノ川」で一躍その名を有名にし、人々は紀ノ川を「紀伊の、母なる川」と呼んでいると記されています。広い川幅で雄大な流れを感じました。


そして今日の終着立ち寄りポイントである吐前王子(はんざきおうじ)を目指していたのですが、帰路乗車予定のJR和歌山線 布施屋(ほしや)駅の電車がこの時間は1時間に1本。吐前王子まで行くと次の14時台の電車にわずかに間に合わない…。そこで「このウエットコンディションのもと無理は禁物」とのリーダーによる英断で、吐前王子は次回に回し布施屋駅へ向かうことに。今回の道のりは15.1km。頑張りました~!


お楽しみの打上げは、JR和歌山駅近く。老舗居酒屋「多田屋」さん。創業90年の朝から飲める人気のあるお店。たまたまネットで見つけたのですが、地元では有名店。地酒も豊富で大満足でした~!

次回はJRきのくに線の海南駅までを予定。長い道のりになりそうです!