熊の会 熊野詣 ~Episode 2~

 

 

こんにちは!
こちらのブログでは“熊の会”3人による熊野詣記録をご紹介しています!
前回の続きからのスタート「エピソード2」をお届けします。

 

●スタート地点は南海高野線「住吉東駅」

駅から200mほどの所にある住江名物住之江味噌「池田屋」さん。残念ながら11時の開店前でしたが、一度購入してみたいです。

 

 

●「浅澤社」「大歳社」

少し歩を進めた所にある「浅澤社」「大歳社」。小さな祠ですが地元の人々に大切に祀られている所であるのが伝わってきました。そしてその祠の建つ場所は昔は清水の湧く大きな池で、奈良の猿沢池、京都の大沢池と並ぶほどであったと。

 

 

■第6王子「津守王子」

今回最初の王子は第6王子「津守王子」。しかし残念ながら場所は墨江小学校あたり・・・としか分かっていません。津守王子を示すものは何もありませんでした。

 

●「止止呂支比売命神社」

更に進むと止止呂支比売命(とどろきひめのみこと)神社。後鳥羽上皇が熊野詣での途中に役所を設け、若松御所と称した碑が建っています。

 

 

●大和川を渡って堺市へ

遠里小野(おりおの)橋で大和川を渡るとそこは堺市。この日は風が強く、キャップが飛ばされそうになりました。

 

 

■第8王子「境王子」

浅香山駅の南側踏切を渡り五差路を南進。大阪刑務所の角を右に曲がると、第8王子「境王子」の碑が建つ公園が。王子の所在がどこであるかの結論が出せなかったのですが、平成4年3月にこの地と定めたらしいです。

 

●「方違神社」

大きな通りである長尾街道を渡った所にあるのが方違(ほうちがい)神社。“堺”という地名は摂津・河内・和泉の三国の境に発達した集落で、方位のない聖地として祀られています。引越しした時などにお参りに来る方が多いらしいです。我が会のリーダーは堺出身で、とても詳しい~!

 

 

●世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」

このあたりから次々と現れる百舌鳥古墳群。方違神社の南に広がるのが反正陵(はんぜいりょう)古墳。反正天皇は仁徳天皇第三王子です。

 

●「向泉寺閼伽井跡」

拝所で手を合わせた後は、三国ヶ丘高校の横を南進。手持の地図を元に進みましたが、あとで確認したGoogle Mapと少し違う道を歩いたようでした。途中にあったのが向泉寺閼伽井跡。Google Mapのルートには高野山女人堂十三里道標石というのも有ったようで、そちらも立ち寄りたかったです…。竹内街道の道標が建っていましたが、これは奈良へ通ずる道。

 

●「仁徳天皇陵」

国道310号の歩道橋を渡ると、国内最大の前方後円墳「仁徳天皇陵」。古墳の大きさは東京ドーム10個分。ぐるりと半周歩き、大仙公園側の拝所で地元ボランティアの方の説明を聞きました。

 

上から見るとこんな感じですね!よくこんなに大きな墓を作ったなぁと!

この後、府道197号を西に進み、「堺御陵通食堂」で昼食と暖を取りました。

 

●「南宗寺」

そのまま海の方向へ進み、阪神高速の高架をくぐった先に有るのが堺第一の禅宗寺院
南宗寺。千利休などの茶人もここで禅の道に励んだという事です。

 

●「石津神社」

このあたり、熊野街道がどのようにつながってかが分かりにくいですが、堺市が建ててくれている道標を目印に国道26号を斜めに進む方向で南進すると、石津神社の鳥居と大きなクスノキが見えてきます。石津大社とも呼ばれ、日本最古の戎宮であると。

 

●「大鳥大社」

道標のルートから外れないように進むと、和泉国一の宮「大鳥大社」。1月中旬のこの日はまだ、年始詣りに訪れている方がたくさんいました。

 

 

そしてこの先のJR鳳駅でこの日は終了。約16km、5時間15分の古道歩き。風が強く寒かったですが、打上げはやっぱりビールからの~でした!