少年時代名古屋の教会学校で共に育ったM君が昨年2月12日に、続いて2月26日にU君が召された。両君ともクリスチャンホームで育ち家族ぐるみの交流があった。
私は大学卒業後大阪に赴任し、開拓伝道に当っていたが、暫くしてM君は東北大学を卒業して大阪の薬品会社に就職し寮生活を始めた。寮から教会迄は離れていたが、日曜日には礼拝に欠かさず出席して信仰を養うと共に、教会を支え協力を惜しまなかった。私は26年間務め離任することになったが、彼は終生この教会で篤信な信仰生活を全うされた。
最近、M君の奥さんから心に沁みる電話を受けた。内容は子ども達と共に教会墓地を訪れ、故人を偲んだ時の事であった。「私は主人を偲ぶにふさわしい愛唱の讃美歌を選び、子ども達と共に歌い、お父さんが親しんでいたと言うことで、ローマ書12:1-2を子ども達に読んで聞かせた」とのことでした。その讃美歌は332番でその1番では「主はいのちをあたえませり、主は血しおをながしませり、その死によりてぞわれは生きぬ、われ何をなして、主にむくいし」で、聖書にはこのように記されていた。「・・・自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえ として献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」と。
彼は己が利益を求めず、他者の利益を図るキリストの無償の愛の証人として、地上の生涯を生き抜いたことを心に深く刻まれた。
アジサイの季節になろうとしています。
最近は品種改良で多彩なアジサイが出て来ています。
このブログは毎月2回ほど不定期に関係者に郵送している、
はがきサイズの通信文を掲載したものです。



