羊の臭いが沁み付いた羊飼い

 

 教会には牧師がいるが牧師とは一体どういう人なのであろうか。「牧師とは?」と問えば、10人10色でいろいろな答えが返って来ることであろう。わたしは「キリストの香りがする人」と答えたい。するとそれはどう言う香りかと問い返されるであろう。

 ところで昨年6月に、日本基督教団の2025年度新任教師オリエンテーショーンが開かれ、牧会講話で元教団議長の山北牧師が新任教師に向けて、「伝道・牧会は忍耐である。・・・羊の臭いのする羊飼いになりなさい。」と勧められた。この記事を読んで「そうだ」と共感させられた。

 主イエスはご自身について、「わたしは良い羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる。」(ヨハネ10:11)と、又、「わたしは自分の羊を知っており、羊はわたしを知っている。」(同14)と語られた。羊飼いは牧師であり、羊は信徒である。牧師は羊を良く知っていて、羊のために自己を惜しまず、命をさえ捨てる気概を持つ。

 羊飼いならぬ牛飼いは1年365日休み無しに牛の世話をする。早朝から牛舎を掃除し、餌を与え、搾乳し、牧場に連れ出し、又、連れ戻す。1日中休み無しである。そうした働きの中で1頭1頭の牛を知り尽くし、牛の臭いが自ずと身に沁み付き、親密な一体感が成り立つことになる。

 思えば羊の身に沁み付いた羊飼いなる牧師こそ、キリストの香りを漂わせているのではないだろうか。キリストの香りのする牧師は、信徒のために労を惜しまず仕えて羊を養う。

 

 

 

 

 

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愛菜花」は本来ハガキ通信ですが、便宜上ブログにも投稿しています