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【魂の解放ナビゲーター】水愛です。
今年、人間関係の中でひとつ大きな「脱皮」のような経験をしました。
それは、相手に対する「嫌だ」という強い拒絶感から始まり、最終的に「すべては自分を写す鏡だった」という深い安心感に至るまでのプロセスです。
⒈「愛情」の対極にあるもの
これまで、愛の反対は「無関心」だとよく聞いてきました。
でも、特定の誰かを大切に思う「愛情」のレベルでいえば、その対極にあるのは、やはり「憎しみ」や「拒絶」なのだと身をもって感じました。
ある出来事を通じて、私は相手に対して「利用された」という痛みを感じ、思わず拒絶の言葉を口にしました。
自分を守るための、精一杯の言葉でした。 その後、相手からは「意図的な無視」という反応が返ってきました。
かつての私なら、その「分離」の状態に傷つき、相手を責めるエネルギーに飲み込まれていたかもしれません。
⒉「愛」という絶対的な状態
しかし、ふと立ち止まって考えてみたのです。
もし「愛」が、好き嫌いという情を超えた「すべてを受け入れる状態」であるならば、その対極にあるのは「自分と他者を切り離すこと(分離)」ではないかと。
相手が私を無視するという行動は、彼女が自分自身の痛みや恐怖から自分を守ろうとする、必死の「分離」の形でした。
そして同時に、私もまた、自分の中にある「不都合なエゴ」や「認めたくない影」を、彼女という存在を通して切り離そうとしていたことに気づいたのです。
「彼女と同じ意味合いのことを、私自身も内側でやっていたんだ」
そう気づいた瞬間、相手を責める気持ちがスッと消えていきました。
彼女は、私の内面を映し出し、成長させてくれるための、大切な「鏡」としてそこにいてくれたのです。
⒊結局、すべては「善きこと」
今、私は彼女と以前のような関係に、無理をして戻ろうとは思いません。
でも、それは拒絶ではなく、今の私にふさわしい「健全な境界線」を引いているだけです。
この経験を通して、私は自分の中にひとつの確信を得ました。
それは、「私にとって善きことしか起きていないのだから、何があっても大丈夫」という、絶対的な安心感です。
泥の中から蓮の花が咲くように、一見ネガティブに見える出来事も、私を「統合」という本当の愛へ導くための大切なプロセスでした。
今、私の中にある「嫌い」や「憎しみ」という感情さえも、愛おしい自分の一部として抱きしめたい。
そう思えたとき、世界はとても静かで、優しい場所に変わっていました。
どんなことが起きても、私たちは大丈夫。
すべては、私たちがより大きな愛に気づくために起きているのだから。
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