心を打つ情景 (「焚火」 志賀直哉) | coffee house  

心を打つ情景 (「焚火」 志賀直哉)

          「焚火」(『小僧の神様・城崎にて』)★★★★★☆☆☆☆6点

             

 Kさんは勢いよく燃え残りの薪を湖水へ遠く抛った。薪は赤い火の粉を散らしながら飛んで行った。それが、水に映って、水の中でも赤い火の粉を散らした薪が飛んで行く。上と下と、同じ弧を描いて水面で結びつくと同時に、ジュッっと消えて了う。そしてあたりが暗くなる。それが面白かった。皆で抛った。Kさんが後に残ったおき火を櫂で上手に水を撥ねかして消して了った。

 舟に乗った。蕨取りの焚火はもう消えかかって居た。舟は小鳥島を廻って、神社の森の方へ静かに滑って行った。梟の声が段々遠くなった。 


   

 よく「文章が巧い、文章が巧い」って言うけれども、僕には実際にはどこがどう巧いのか良くわからないことが多いのです。名文家と言われる人とそう呼ばれない普通の小説家との差なんてこれっぽっちもわからない。


 でも、志賀直哉くらいまで突き抜けると、センスに乏しい僕にもさすがにわかります。志賀直哉の小説(内容)自体はそんなにまで好きなわけではないんですが、文章を読むと心地よくなります。とくにこの文章なんて・・・。


 暗闇の中、薪が飛んでいく。闇の中に2本の赤い光が流れていく。それが水面で結びつく。その時にジュッと音が鳴る。花火なんかでもそうですけど、あの水につけたときの音って結構、心地いいですよね。そして薪が撒き散らした赤い情景は闇に吸い込まれていく。

 


 最後のフクロウの声なんかでもそうですけど、本当に「ホーホー」言っているように感じるんですよねぇ。それが薄れていく感じっていうのはすごく切ないです。


 この文には「動きの変化」があって「色の変化」があって「音の変化」がある。何度読んでも素晴らしい文章だなぁって思います。

 

 


 芭蕉の

 閑けさや 岩に染み入る 蝉の声

 

  とか

古池や 蛙飛び込む 水の音

 

   なんかに通じるような心地よさですよね。(この2つくらいしか芭蕉の句なんてしらないんだけど・・・)


 ★★★★★★★☆☆☆ 7点


志賀直哉 『小僧の神様 城崎にて』 (新潮文庫)より「焚火」