今日は隣町大多喜町の大多喜城へ行って来ました。現在の城は千葉県指定史跡の上総大多喜城本丸跡に、
 
昭和50年に建てられた天守閣づくり(3層4階の鉄筋造)の歴史博物館になっています。今日は生憎休刊日で外
 
観しか見ることが出来ませんでしたが、こじんまりとした落ち着いた感じのお城でした。
 
 
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城を三方から撮りました。小さ
 
いながらも青空のもとにくっき
 
りと浮かび立つお城には威厳
 
が感じられました。
 
大多喜城には天正18年(1590
 
年)、徳川四天王の一人とうた
 
われた家康の重臣、本多 忠
 
勝が入城し、最後の城主松平
                  
                  
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正質(まさただ)は明治2年に版
 
籍を奉還し、本姓に復して大
 
河内と改姓し大多喜藩の知事
 
となりました。そして、明治4
 
年、280余年にわたる大多喜
 
城の歴史に終止符が打たれ
 
ました。
 
 
 
 
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最初の城主となった本多家の
 
紋「丸に立葵」と、最後の城主
 
松平家の紋「三つ扇」です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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今迄幾らも巨大な石が積み重
 
ねられたお城を見て来ました
 
が、ここでどれ一つ同じでない
 
大小さまざまな形の石が、き
 
っちりと巧みに組み合わされ
 
ているのに、改めて感心させ
 
られました。違った人間同志
 
も上手く組み合わされれば、
 
一つになれるのですね。
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石の積み方にもいろいろな方
 
法があることが説明されてい
 
ました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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大木の左側に見える穴が大
 
多喜城内にあった20数個の井
 
戸の一つで、「底知らずの井
 
戸」と呼ばれているものです。
 
井戸は二の丸にあり写真は
 
本丸から撮ったものです。
 
 
 
 
 
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こちらでは大多喜米は美味し
 
いことでも知られていますが、
 
それは水質の良さと土が粘土
 
質によるもです。井戸からは
 
良質の水が豊富に汲み上げ
 
られていたとのことです。
 
 
 
 
 
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この時期ここでは花らしきも
 
のは見当たりませんでした
 
が、帰り際ふと目に入ったの
 
が「みつまた」の花でした。
 
枝が3本に分れる所から「みつ
 
また」とよばれていますが、皮
 
の繊維は和紙の原料となりま
 
す。