「イエス様に何でもお祈りして相談すればいいのよ」と言われたとき、ワタシが躊躇した理由がわかりました!

 

 

黙想会の聖堂にあった、十字架に磔にされたイエス様の像を見ながら思ったこと。

1週間前には大歓声を受けながら、エルサレムに入場したイエス様。それなのに、1週間後には、無実なのに十字架につけられて、一言も弁明なさらず、お亡くなりになった。しかも、人類皆の罪を背負って亡くなられた方。そんなお方にワタシごときが何を話しかけたら良いのか?という気持ちでした。

 

だから、仕事中10回もお祈りする彼女の話を聞いて、自分の身近な痛みや悩みをイエス様に言っていいのか?、言えるのか?>自分、下世話すぎるけど言ってみる?みたいな行きつ戻りつな時間を過ごした後、まずはやってみることにしました。

友達のしあわせは祈れても、自分の細々としたことは、そんなわけで、祈るなんて考えも及ばなかったのです。

 

そんな中、ワタシにとってはすでにお祈りの師匠になっている彼女からアドバイスのメッセージが来ました。

 

神様とお話する時、必ず本音をお伝えすることがコツです。

 

良い子になろうとしたり、良いキリスト者になろうとせず、カッコつけず、ありのままが良いです

そこで、思い出した聖句

 

ヨハネによる福音書15章7節から


あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものは何でも願いなさい。そうすればかなえられる。

 

 

師匠ありがたすぎます泣き笑い

イエス様に、ありのままの今のカッコ悪いワタシの悩みを打ち明けてみます!

そうすることで、きっと、知らず知らずにやらかしている自分から限りなく卒業できることを願いつつ。

 

写真は大学の学園祭で仲間と作った教会内部の模型です。懐かしい。