15日に通夜が終わり16日に葬儀、火葬、初七日まで行いました。
遠方からまた来てくれる親戚の事を考えて11時からの開始にしました。
お通夜にたくさんの方が来てくれたので葬儀は母の望む身内だけの式になりました。
お坊さんのお経、お焼香、お坊さんの話と進んだ所でバイオリンとフルートの生演奏があり
母の好きだった美空ひばりの「川の流れのように」を弾いてもらいました。
この曲を聴くと小さい頃からの母との思い出が蘇ってきて、号泣でした。。。
父も同じく泣いていたのでその後の喪主挨拶まで引きずってしまって。。。
現職中は人の前で話をする事が日常だった父が言葉が詰まってしまい・・・でも最後までちゃんと挨拶できたのでよかったです。
その後、棺桶の中の母にお花を入れていきました。祭壇に飾っている花、皆さんに頂いたたくさんの花で囲まれた母はとってもきれいでした。
火葬場ではもう顔を見る事ができないと言われ、ほんとにこれで母を見れなくなるんだと思うと・・・・もうもう涙腺が崩壊してしまいました。
それから出棺・・・
マイクロバスで火葬場に向かいました。
火葬場に着くと1~9の番号があり、母が3番の焼く所に入っていってしまいました。。。
父が火をつけるスイッチを押しました。なかなか押せない父を見ていていたたまれなくなりました。
火葬場へは父と私の家族、兄の家族、受験のために3年間一緒に暮らしたいとこが1人来ただけだったのでホントに身内だけで見送りました。
母が火葬されている間、頼んでいたお弁当を食べました。葬儀場の係りの方がついて下さってお茶やコーヒーを準備してくれ、私はご飯が喉を通らずコーヒーばかり飲んでました。。。
いとこを交えて小さい頃の話をしたり母の思い出を話していると放送で母の名前が呼ばれました。火葬の時間は大体1時間20分くらいだったと思います。
こんなにすぐに焼かれてしまうんだ・・・・
母は骨になって帰ってきました。。。
それから、担当の方に言われるがまま、骨の説明を聞きながら箸渡しをしたり順番に骨壺に母の骨を入れていきました。あまりにも淡々と進めていくのでこの時は涙がでませんでした。
大腿骨骨折をした左足の股関節には人工骨頭を埋められていたチタン製の物がそのまま焼かれず残っていました。母の足を支えてくれてありがとう。。。
これで火葬は終わり、20分程かかって葬儀場に戻りました。
帰りのバスの中では母の遺骨を持っているにも関わらず、あまりの疲れから寝てしまった私です。お母さん、お骨になったばかりなのに、ごめんね。。。でも絶対落とさなかったからいいよね。許してね。
葬儀場に戻り、初七日まで行いました。
全て終わって実家に帰り着いたのが16時過ぎ。。。
頂いたお花の残りを花瓶に生けて、遺影写真を飾り・・・
やっと家に帰ってこれたね。お母さん。。。
着替えを済ませた頃、何人かのご近所さんが来られて葬儀場から帰った後もバタバタと過ぎた1日でした。
今日は母の初七日・・・・
家族で何をする訳でもなくいつもの様に母を想いながら実家で皆で過ごしました。
兄の子供たちもそれぞれ順番に帰って行き寂しくなりました。
明日までお休みを頂いているのですが、葬儀場の支払いや借りているベッド、車いすを取りに来たり、書類関係でまた役所に行かなきゃなので忙しくなりそうです。
昼間は何かと動いているので紛れるのですが・・・・
夜になると・・・・寂しいですね・・・・
排便カレンダーを作ってチェックしていた日が懐かしいです。。。
来年の3月まで作っていたのに・・・・( ;∀;)
ふさぎ込んでいた父が今日は掃除をし始め、以前の頑固さも出てきたので安心しました。
少しずつ少しずつ・・・・・母のいない暮らしに慣れていこうと思います。
姿はなくても、心の中にずっといるので、きっと大丈夫!
母と同じ病で戦っていらっしゃる皆様、そしてご家族様、今回この様にリアルに母の事を記事にした事で不安な気持ち・不快な気持ちになられましたらほんとに申し訳ありません。
母は2年半という闘病生活でしたが、本当に最期は穏やかに旅立つ事ができ、私たちも母の願いを叶える事ができました。
ギリギリまで諦めず治療もしてデイサービスも皆勤賞でお風呂まで入る事ができました。
治療に関しても介護に関しても、後悔はありません。自己満足かもしれませんがやり切った気持ちです。
32㎏になるまで、生き抜きました。人はこうして枯れていくんだという事を母は身を持って教えてくれました。
この2年半、いい事ばかりではなく、家族共々辛い事もたくさんありました。母を想うが故に喧嘩もしました。でも、今となってはそれも貴重な思い出です。
どうぞ、今の時間を大切に過ごされて下さい。
そして皆様が穏やかにお過ごしできます様に陰ながら祈っております。
最後までお読み頂きありがとうございました。



