リダと母の闘病日記~脳腫瘍と向き合う~看取ったその後~今度は夫が悪性リンパ腫に(R3年2月)

リダと母の闘病日記~脳腫瘍と向き合う~看取ったその後~今度は夫が悪性リンパ腫に(R3年2月)

H27年2月に母がグレード4の膠芽腫と診断されました。母の事や日々の出来事を綴っています。H29年8月14日に永眠、H30年3月7日に父が突然死。そしてR3年2月に夫が悪性リンパ腫に。。。

H29年8月14日に最愛の母が脳腫瘍で亡くなりました。
2年半の闘病生活でした。
迷いながら、悩みながらも最期は在宅での看取りを選びました。
その半年後父が突然死。。。

そして、3年後のR3年2月に夫が悪性リンパ腫になりました。
また少しづつブログをUPしていきたいと思っております。

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と思っております。

どうぞよろしくお願い致します。
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9月13日(月)午後11時9分・・・・・

夫が永眠しました。。。

 

11日(土)の朝危篤状態から奇跡的に目を覚ました夫でしたがその日の夜から意識が戻る事なく逝ってしまいました。

 

13日(月)の午後10時30分頃、病院から電話があり急いで向かいましたが最期には間に合いませんでした。。。。

 

これまで仕事一筋で突っ走ってきた夫。

 

ゆっくり休んでね。

 

今まで本当にありがとう。

 

 

 

先月主治医から余命1週間くらいだろうと言われて3週間が過ぎました。。。。。

 

厳しい状態ながら今も夫は頑張っています!

 

9月1日(水)には面会の許可が出てわすが10分程でしたが夫に会うことができました。

呼吸をするのがとても苦しそうではありましたが何とか話ができ嬉しかったのですが・・・・・

 

私にはずっとずっとモヤモヤして引っかかる事がありました。

主治医は夫には抗がん剤が効いていない事を伝えておらず、今の状態が合併症かもしれないと伝えていたので、治療法がない事を知らない夫は自家移植ができると信じていました。

なかなか次の抗がん剤をしない病院に対し不信感を持ち怒りの感情が時折出てイライラしているのがわかりました。

 

余命1週間と言われた時点では私たちも治療法がない事を伝えるのは酷だと思い知らせずにいた方がいいと判断したのですが時間が経つにつれ、このまま夫が周りに不信感を持ちながら人生を終えてしまってもいいのか・・・・・・

私も伝えない事で本音の会話ができずにいるのがとても辛くて辛くて・・・・・・・・

悩んだ末、電話で話している時に私の方からもしかしたら今の状態は合併症ではなくて

悪性リンパ腫が悪化しているかもしれないねと話したところ、もしそうだったらはっきりと言って欲しいと夫からの言葉。。。。。。

 

主治医に抗がん剤が効いていない事を伝えて欲しいと9日(木)に話に行き私も同席し夫に伝えました。

夫はモヤモヤが消えてスッキリした!と言ってはいましたがショックだった事でしょう。。。。。

この日、初めてモルヒネの飲み薬を飲みました。

 

そして・・・・その翌日の10日(金)のお昼過ぎに病院から連絡があり・・・・・・

夫が危篤状態ですぐ病院に来て下さいと・・・・・

 

泣きながら病院に向かいました。

私が主治医に頼んで昨日抗がん剤が効いていない事を伝えたからショックで危篤状態になってしまったんだ・・・・

私のせいだ・・・・私のせいで・・・・と自分を責めました。。。。。

 

この日は付き添いの許可が下りて病室に泊まり、その間夫は意識がない中でもがき苦しみながら酸素マスクを外そうとして私が付けようとすると凄い力で振り払い看護師さん2人ででも抑える事ができない程・・・・

 

もうこんなに苦しいなら楽になって欲しい・・・・

私のせいでごめん・・・・ごめんと泣きながら傍にいて暴れ出す度に看護師さんを呼ぶを繰り返していた朝の4時頃・・・

すっと起きて今まで半目状態だった夫の目が開き私と目が合った瞬間・・・・ニコッと笑い・・・・・

 

「どうしたの?」と・・・・・・

 

看護師さんと私はもうもうビックリびっくりびっくりびっくりびっくりびっくりびっくりびっくり

 

危篤状態から意識が戻りました~~~~~

ほんとにほんとに嬉しかったです。

 

意識が戻った夫に息子も面会の許可が下り3人で会うことができました。

 

夫曰く、夢の中で何かと戦っていたそうです・・・・・

だからあんなに暴れたのね。。。私と看護師さん、何回も叩かれたんだから~~~~~

と皆で爆笑!

 

抗がん剤が効かないと聞いた時はショックだったけどスッキリしたと話してくれてありがとうと言ってくれたので私は一度は後悔したけどこれでよかったんだと思えました。夫がこのまま逝ってしまっていたら私は一生後悔したことでしょう・・・・・・

 

病室を出る時に、言えなくなるかもしれないから今言っとくね・・・・と私

 

「私と一緒になってくれてありがとう。これまでありがとね」と・・・・

 

「おれも一緒。。。ありがとう」

 

とさらっとでしたがお互いいつお別れがきてもいい様に言葉を交わしました。

 

そして。。。。今朝主治医から電話があり、また意識が落ちてきている事と病院でコロナが新たに出てしまい付き添い許可がでていたけど病院自体がロックダウン状態になるのでもしかしたら看取る事ができないかもしれないと連絡がありました・・・・・・

 

昨日、ちゃんと感謝の言葉とお別れの言葉を言えて聞けて・・・・・

ほんとによかったと心から思えました。

 

最期の時に一緒にいる事ができなくても看取る事ができなくてももう大丈夫です。

 

危篤から意識が戻って親子3人で本音の話ができた事自体が奇跡だと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回のブログから随分・・・日が経ってしまいました。。。

 

夫のその後ですが・・・・・

4月に2回目の入院をしガザイバ-CHOP療法を無事終え3回目からは通院にて治療を続けてました。。。。

 

9月には職場に復帰する気満々で順調に治療も進んでいるものだと思っていました・・・・

 

CHOP療法が6月で6回目を終え、後3回ガザイバを残すのみ!

といつものように7月19日に病院へ行きました。

その日の採血にて炎症の数値が異常に高くガザイバは中止。

 

翌日、別病院でPET検査・・・・・

 

その翌日の診察で抗がん剤が効いていない事が判明。。。。。

 

治験もできるかもしれないからと大学病院を紹介されましたが夫の場合は当てはまらず。。。

断念。。。。

そこでCHOP療法より強い抗がん剤をして自家移植をする事になりました。

自家移植は大学病院でないとできないけどその前の抗がん剤は今の病院でもできるとの事でしたので慣れた今の病院で入院する事に。

 

そして、8月2日に入院し3日から救援化学療法(CHASER)を始めましたが・・・・・・

 

おととい主治医の先生から連絡があり昨日病院へ行きました。

先生からは右肺が真っ白で呼吸状態が悪化している事、おそらく肺炎ではなく悪性リンパ腫が悪化している、進行が速すぎて急変急死する可能性もある、痛みを取るためのモルヒネを使用する事、そして・・・・あと一週間の余命宣告・・・・・

 

 

ちゃんと向き合わないといけないのにどうしたらいいのかわかりません・・・・・

傍で声をかける事も体をさすってあげる事もできない・・・・・・

 

コロナが本当に憎いです!

 

 

 

3月5日(金)に入院した夫。。。。。
 

今日、退院しました。

16日(火)にドレーンが外れ結局6リットル程胸水を抜いた様です。。。。。

いまだに右の肺には少し水が溜まっていて炎症もあるとの事。

また溜まってしまうのではないかと不安もありますがとりあえず一旦退院して家に帰ってこれたのでよかったです。

 

1クール目の抗がん剤はエンドキサン+ドキソルビシン+オンコビン+プレドニゾロン(プレドニン)のCHOP療法でした。

副作用としては便秘、体のだるさが主にでてきて、退院直前まで白血球が下がっていました。

そしてここ2,3日で脱毛が始まってきています。

 

今日、19日ぶりに見た夫は体重は増えていませんが顔色がよく目力も出てきていたので安心しました。

 

次は4月1日(木)に入院です。

2クール目からはCHOP療法にガザイバが+されます。

どうか効果がありますように。。。。。

 

 

 

3月5日(金)に緊急入院した夫。。。。。

 

いまだに胸水を抜くドレーンは外れないそうです。

まだ止まらないとの事で5リットル以上抜いていると。。。

そんな中、ドレーンを付けたまま8日(月)から予定通り抗がん剤の1クール目が始まりました。

今の所、体が少しだるいと感じるくらいの副作用の様です。

 

コロナの影響で病室に行けないので心配でたまりませんが電話での声は元気そうで食欲もあるとの事でそれだけは安心です。

 

今日は夫が悪性リンパ腫と診断されるまでの経緯を忘れないうちに残しておきたいと思います。気が動転してしまい、あいまいな所もありますが。。。。。

 

体調の異変があったのは去年の12月くらいからでしょうか・・・・

時々変な咳が出るようになって、ちょっと風邪の咳とは違う感じだから病院に行ったらどう?と

何度も言っていたのですが、なにせ夫は病院嫌い、薬嫌い。。。。

しかもその頃は仕事が忙しく時間が取れずでなかなか病院に行けずにいました。

 

1月の中頃になると体のだるさと喉の痛みが咳とともに出始め、2月に入ると息が苦しくなる事があり階段を上ることもままならなくなり、やっと病院に足を運びました。

そこでの診断は、扁桃腺が真っ赤で風邪をこじらせたのでしょうとの診断。。。。

風邪だったら、治るだろうと思い抗生剤を飲んでもよくならない。それどころかどんどん痩せていく・・・・・

 

そして。。。。2月16日(火)

        会社の健康診断があり、係の方が大慌てで

        「すぐに病院に行ってください!肺に水が大量に溜まってます。」と言われ

        同じ日の午後、風邪と言われた病院にデータを持っていきました。

        するとそこでも先生が大慌てで・・・

        「ここでは対処できないのですぐに紹介状を書くから大きな病院に明日

        言って下さい。肺がんかもしれない」と言われました。

 

        2月17日(水)

        紹介された総合病院に。

        そこでレントゲン、CTを撮り先生からは肺がんの可能性がある、肺がんだったら

        ステージ4まで進んでいると言われました。

        その後、注射器で肺の水を抜いて検査をするとの事。

        早急に必要な検査をしないといけないと言われ色んな同意書を書きまくり

        でした。

       

        2月19日(金)

        別病院でPET/CT検査

 

        2月22日(月)

        総合病院にてMRI(造影剤)と心機能検査、歯科受診

 

        2月24日(水)

        診察にて検査結果を聞きました。

        PET/CTの画像を見せられた途端に頭が真っ白。。。。

        体中あちこちが真っ黒で光る部分もたくさんで、もう絶望的でした。

        この段階の診断は「右肺門部肺がん多発性リンパ節転移」進行がんの

        可能性あり、急いで確定診断にて治療方針を決めましょう。と先生から。

       

        この時点でうちの夫は

        「なんで皆急いで急いでばかり言って癌と脅すんだろうか?」と。。。。。

        突然の事で受け入れられないのか、わからない振りをしていたのか。。。

        夫本人にしかわからないですが。。。。。

 

        2月25日(木)

        検査入院

 

        2月26日(金)

        リンパ節生検(1時間半くらい)

        私と息子は受付の待合室で待つ。 

        11時30分頃、先生から私の携帯にTELがあり、詳しく見てみないとわからないが    

        肺がんではなく「悪性リンパ腫」の可能性が高いと言われました。

 

        2月27日(土)

        退院

        退院してからの夫は苦しそうでずっとベッドで横になる日々が続き食事も

        ほとんど取れなくなり歩くこともままならなくなりました。(胸水が溜まったため)

        

        3月5日(金)

        悪性リンパ腫と確定診断。

        緊急入院となりました。

 

2月16日(火)の健康診断から悪性リンパ腫と確定診断まで18日です。

どの先生も急いで!急いで!と検査も急いで下さり、今の夫がいます。

後1か月遅れていたら・・・・・と思うとゾッとします。

 

長くなってしまいました。。。。。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

季節の変わり目・・・・

皆様も体調にお気をつけてくださいね(*^-^*)