リダと母の闘病日記~脳腫瘍と向き合う~看取ったその後~今度は夫が悪性リンパ腫に(R3年2月) -2ページ目

リダと母の闘病日記~脳腫瘍と向き合う~看取ったその後~今度は夫が悪性リンパ腫に(R3年2月)

H27年2月に母がグレード4の膠芽腫と診断されました。母の事や日々の出来事を綴っています。H29年8月14日に永眠、H30年3月7日に父が突然死。そしてR3年2月に夫が悪性リンパ腫に。。。

夫が胸水を抜いて落ち着いた頃。。。

 

私と息子2人で血液内科を受診しました。

初めましてでしたので軽い挨拶の後、診断の結果を聞きました。

 

やはり悪性リンパ腫でした。。。。

 

リンパ腫もたくさんの種類がある中で夫は濾胞性リンパ腫グレード3Bステージ4との診断でした。

一般的に濾胞性リンパ腫は年単位で進行するタイプで低悪性度だけれども再発しやすいと。。。。

 

夫の場合、病理の先生の所見で濾胞性リンパ腫と分類したけどダブルヒットリンパ腫も疑われるので

高悪性度同様だと思ってくださいと言われました。

 

ここ2か月くらいで10㎏近く体重が落ちあんなに動いていた人がずっと横になっているのは異常だし

急速に悪化しているのを目の当たりにしているので予想はしていました。

 

骨髄検査だけしていないのですが治療法は同じという事で。。。。

 

ガザイバーCHOP療法という抗がん剤治療を行う事になりました

3週間ごとを6~8クールで2クールまでは入院で様子を見ましょうと。。。

これだけ胸水を抜いた後すぐなのでガザイバは2クール目から入れる事になりました。

 

治療は一応半年くらいで寛解を目指しましょう!と言って下さいました。

 

これまでほとんど食べれず体力も落ちている所での抗がん剤に耐えられるのか非常に心配です。。。。

 

ですが・・・・このまま治療をしなければあと1か月生きられるかどうか・・・と言われ頭真っ白・・・・

逆に考えると治療をすれば大丈夫って事ですよね。

 

きっと大丈夫!!!

 

と自分に言い聞かせながら。。。。。

 

今日は先ほど夫からTELがありゴホゴホしながらも元気な声が聞けました(^^)

 

同じ病名でも一人ひとり症状が違います。

あくまでもうちの夫の症状ですので不快に思われた方がいらっしゃったら申し訳ありません。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、病院に結果を聞きに行ってきました。

 

14時に血液検査、14時30分に呼吸器外科受診、15時に血液内科受診その後歯科受診の予定だったのですが・・・・・

 

13時前に夫に「そろそろ行く準備をしようねぇ」と声をかけると。。。。。

 

急に「なんで胸水を早く取ってくれないんだよ~~~~~~~~~~~~~~」

と叫びだし、それと同時に呼吸困難になり今にも息が止まりそう!!!!!

 

どうしよう!!!!!

 

救急車を呼ぶべきか!

 

慌てふためきながらも。。。。、

 

いや冷静に!!!

 

母の闘病中、救急車を呼んでも来るのに10分くらいかかったのを思い出し、それより自分の車ですぐ出かけた方が早いと判断し、母が使っていた車いすを息子に頼み私はとにかく夫を落ち着かせました。

 

しばらくすると落ち着き、苦しそうではありましたが何とか呼吸はできるようになり、すぐさま病院へ向かいました。

一度は手放そうと思った福祉車両の車にまさか夫を車いすで乗せるなんて思ってもみなかったです。

 

病院に着き受付担当の方に事情を話した所、初診から診てくれている呼吸器外科の先生が

すぐ診察してくれレントゲンを撮りにいき、すぐさま肺の水を抜く事になりました。

そしてそのまま入院。。。。。。

 

この胸水。。。。

昨日から今日もまだ抜いているそうでなんと只今4リットルを超えたそうです。

初診日が2月17日でその時も抜いたのでここ2週間くらいで一挙に溜まったことになります。

レントゲンを後で見たら右肺だけだったのが左肺にまできていました・・・・

 

これじゃ、そうとうきつかったはず。。。。

私ももうすぐ診察日だからもう少し。。。。もう少し。。。。と思っていたので早くに相談すべきだったと反省です。

とにかく大事に至らなくてほんとによかった。。。。

 

2リットルくらい抜いた時にはだいぶ楽になった様で

その時発した言葉が。。。

 

「腹が減った!」

 

最近ほとんど食べられず体重もさらに落ちていたので安心しました。

胸水が胃まで圧迫していたようです。

 

もうこの時は病理組織の結果よりも早く胸水を抜いてあげて~~~~~と必死でした。

 

 

結果は②に続きます。。。

父が亡くなってもうすぐ3年。。。

 

一時期、うつ状態だった私も元気を取り戻し、仕事もWワークを始め落ち着いた生活を送っていました。

 

そんな中、今度は夫が悪性リンパ腫に。。。。。

 

最初は肺がんステージ4と言われ生検で今度は悪性リンパ腫だろうと言われています。

 

3月5日(金)の確定診断を待っている状態。。。

 

この待っている日々がもどかしく、苦しいです・・・

 

 

父が7日(水)に亡くなり、8日(木)に通夜9日(金)に葬儀を終えました。

 

母が亡くなってからの父はほんとに寂しそうで・・・

母の闘病中は母の事で喧嘩ばかりしていた私ですが、母がいなくなった事で父と喧嘩をする理由がなくなり、

どんなに自分の体調が悪くても心配で毎日父の様子を見に行っていました。

 

2日に一度は一緒に買い物に出かけ、亡くなる5日前にも確定申告をした後いきつけの散髪屋さんに行きさっぱりしたばかりでした。

亡くなる前日の夕方は少し喘息が出ていたのですがいつもこの時期は出るので薬もあるし大丈夫だと言っていて・・・・

母の話を一緒にしながら普通に晩酌もして食欲もありました。

 

夜中にトイレに何度も起きるのでトイレに行く途中で喘息が出てはいけないと思い、用心のためにその日初めて父の布団の横に母が使っていたポータブルトイレを置いて帰りました。

 

7日の朝、実家に迎えに行くといつも時間通りに外で待っている父が見えません。

それどころか門も開いておらず新聞も取っていないし玄関の鍵もかかったまま・・・・

 

「絶対おかしい!」と嫌な予感がして慌てて鍵を開け中に入りました。

 

そこにはポーテブルトイレに座って冷たくなっている父の姿がありました・・・・・・

出血も傷もなく寝ているかのような穏やかな顔の父の姿が・・・・

でも、とても手足が冷たいんです・・・・お腹は温かいのに脈がもうありませんでした。

 

気が動転して狂いそうになった私は隣のおばちゃんの所に駆け込みました。

昔、看護師さんをしていたおばちゃんは父の姿を見てまずかかりつけの先生に電話をしてくれました。

私はその間に兄と息子に電話をし、5分程で先生が来てくれました。

もう硬直が始まっていて手の施しようがなく・・・・・・先生の指示で救急車を呼びました。

 

救急の方に色々聞かれ、先生も来て下さったのですが24時間以内に診察していないと死亡診断書は書けないらしく、救急の方が今度は警察を呼びました。5、6人の方が来ました。

自宅で亡くなった時には事件性がないか警察の方が来られるのは知ってはいたのですが・・・・

色々別室で長い時間聞かれるのが、ほんとにほんとに辛かったです。。。。。

父の通帳や財布から所持金を出しカメラで撮っていました。。。

 

2時間くらいこれまでの事を聞かれたかと思います。もうほんとに辛かった。。。

途中で一旦帰ったかかりつけの先生もまた来て下さり心臓死と診断されました。

死亡診断書ではなく死亡検案書を書いて頂きました。

 

全て終わると警察の方が座ったまま硬直していた父を布団に寝かせてくれました。

でも、裸のままで・・・・

父が可哀そうでしたので兄と息子と一緒にできる範囲で服を着せてあげました。

 

横になっている父はただ眠っていて今にも目を開けそうでした・・・・

とても穏やかで安堵した顔で・・・・

 

父は誰にも迷惑をかけずにひっそりと早く母の所に行きたいと言っていました・・・・・

 

本当に一人で私がいない時に逝ってしまいました・・・・・

 

寂しい父の姿を見ているのが私も辛かったですが、もう少し生きていて欲しかった・・・・

でも父は自分の思う亡くなり方で母が待っている所に行けたのだからこれでよかったんだと思い込ませています。

 

高校の同級生でそれからずっと一緒だった父と母・・・・・

 

2人とも81歳と2ヶ月で逝ってしまいました・・・・

 

最期まで一緒でした・・・・

 

 

ブログを最後にしますとご挨拶しておきながら・・・・

父と母はいつまでも繋がっているので、今回また記事にしました。

 

現在、闘病されていらっしゃる方、またそのご家族様が穏やかな日々をお過ごしできます様に陰ながら応援しております。

 

私も体調と相談しながら悔いのない人生を過ごしていきたいと思います。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

 


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昨日、7日の未明・・・・

父が亡くなりました。。。。。

 

突然死・・・心不全でした・・・

母の所に行きたいとずっと言っていた父。。。

母が亡くなってからわずか半年とちょっとです。。。

 

あまりにも急で頭が追いつきません。。。。

 

第一発見者が私。。。

苦しそうな顔をしていなかった・・・

それだけが救いです。。。