「さすらいの青春」は、記憶の中で、自分だけの映画館で再上映される幻の映画なのだ
「さすらいの青春」という映画がある。
1968年にフランスで制作された映画だ。
この映画はアラン・フルニエというフランスの作家の、「モーヌの大将」という有名な小説を映画化したものだ。
タイトルだけ見ると、なんだか、いかにもって感じでお手軽な印象を持ってしまう。
最初にこのタイトルを見たときは、安物のチョコレートのような、甘ったるい青春映画を連想した。
が、実際にこの映画を見ると、「さすらいの青春」というタイトルが内容をちゃんと語っていた。
登場人物たちの、青春期のさすらいがテーマになっていて、むしろ「モーヌの大将」という直訳タイトルの方が内容にリンクしない不親切なタイトルだと思えてきた。
ぼくはこの映画をもちろんリアルタイムで見たわけではない。封切からたぶん20年ぐらいたっていたと思うが、偶然テレビでみた。そして妙にこころに残った。フランスの片田舎の風景の美しさとか、そこの中学校の寮生活の風物詩や、田舎の人々のなんでもない暮らしにひどく魅了された。
意図的なソフトフォーカスとか、光を乱反射させたりした映像がひどく印象的だった。
だがこの映画のことを、映画好きの友人に語っても、なぜか見たという人間が一人もいなかった。
現在DVD化もされていない。ロクでもない映画はゴマンとDVD化されてあふれかえっているのに。
今は、どんな映画でもたいていは見ることができる時代なのに、DVD化されていないこの映画は、現在見ることができない。今は名画座も減ってしまったし、新作映画ならともかく、昔の映画の自主上映会なども開かれる機会はない。
言ってみればこれは今は見ることのできない「幻の映画」なのである。
なんでそんなにマイナーで不人気な映画なのか不思議でしょうがない。
いちおうフランスの文芸映画なのだし。「禁じられた遊び」という歴史的な名画で子役デビューしたブリジット・フォッセイがヒロインをやっているし。
そう思っていたら、ブログを通じて知り合った、映画やアートに詳しい方が、コメントのやりとりをするうちに、たまたまこの映画にふれて、大好きな映画の一本とおっしゃられて、ひどく嬉しかったことがあった。
映画でも文学でも音楽でも、特に大切に胸の奥の秘めているような作品が、誰にでもあると思う。
それは必ずしも、名画であるとは限らないし、一般的な評価が低い作品だったりする。それでも、自分にとっては、かけがえのない大切な作品。
「さすらいの青春」は、たまたまこの映画を見て魅了された人にとっては、そういう一本になっているのではないだろうか。心の奥に大切に保存された一本。
現実には見ることができないが、記憶のなかで、自分だけの映画館で繰り返し上映される幻の映画。
この映画は、そういう作品なのだと思う。




