ダリが愛した喜劇チーム、マルクス兄弟 | 銀のマント




ダリが愛した喜劇チーム、マルクス兄弟

 

数日前の、ダリと映画について書いた記事の中で、ハーポ・マルクスのことをチラッと書いた。
ダリは喜劇役者のハーポ・マルクスをひいきにしていて、有刺鉄線を巻きつけたハープのオブジェを贈ったり、ハープを演奏するハーポの肖像画を描いたりしている。これはハーポ・マルクスがハープの名手で、映画の中でハープを演奏するシーンがたびたび出てくるからである。
また、マルクス兄弟のために映画のシナリオも書いている。残念ながら映画化はされなかったが。
ダリが大ファンだったというマルクス兄弟とは、何者なのか。
マルクス兄弟は、1950年代にハリウッドで人気のあった喜劇チームだ。本当の兄弟で、グルーチョ、チコ、ハーポの三人からなる(最初は四人だったが、末弟が途中で抜けた)。
もとは旅芸人だったが、映画デビューすると、そのシュールなギャグの世界に、ダリをはじめとする、シュールレアリスト達に認められ、作る映画も次々にヒットした。
マルクス兄弟は、別にシュールレアリストという訳ではないし、旅芸人であった彼らはシュールレアリスムについてもほとんど関心がなかったのではないかと思う。
それでもマルクス兄弟の映画の中で繰り出されるギャグは、シュールレアリスムの精神に近いものだった。マルクス兄弟は、ナンセンスを極めた挙句、シュールレアリスムに近い場所に到達してしまったのだ。
たしかに、ナンセンスの精神はシュールレアリスムやダダに似ている。ナンセンスとは、ナン(否定)センス(=常識、理性を否定するところから始まるからだ。常識と理性の否定はシュールレアリスムやダダの出発点である。
今、マルクス兄弟の映画を見て笑えるのは、そうしたセンスに対する攻撃が徹底しているからだ。いっこうに古びることがない。むしろ今見ても、そのシュールさに唖然としてしまう。例えば、万引きを疑われたハーポが、コートのポケットの中のものを出せと言われると、ポケットからモノサシやら聖書やらソーセージやら、信じられない量の様々なものが出てくる。最後には生きた犬まで出てくるというシュールさ。
「マルクス捕物帳」という映画の冒頭にはハーポ・マルクスがビルの壁にもたれかかってニヤニヤしてるところに警官が通りかかって、「何をしている」と聞くと、ハーポはビルを指差してうなずく(ハーポは口がきけないというキャラクターなのだ)。「ビルを支えているとでもいうのか」と警官がからかい気味に言うとハーポはうなずいてビルから離れる。するとビルが崩れ落ちてしまう…。こんなギャグまである。
マルクス兄弟の映画にはこういうギャグが満ちている。
マルクス兄弟のキャラクターもまた凄い。グルーチョがいつも詐欺師のキャラクターで機関銃のように喋りまくる(字幕ではそうしたグルーチョの言葉のギャグはほとんど伝わらないそうだ)。チコは比較的まともでピアノのアクロバットな弾き方が得意。ハーポはつねに口がきけないというキャラクターで、そのうえ少々頭を病んでいる風を装っていて、言葉を持たないぶんいっそうその行動はエキセントリックでアナーキーさが加速する。
ダリはこのエキセントリックさとアナーキズムを愛したのだと思う。
この三人の相乗効果が絶妙で、笑いのテロリズムは何倍にもなって爆発するのだ。
代表作といわれているのは「我輩はカモである」。戦争をテーマにした作品だが、チャップリンの「独裁者」のように戦争に対する批判とか反戦とか、そんなものはあまり見当たらない。ここにあるのも徹底したナンセンスに満ちた笑いだ。
だがそのナンセンスこそが戦争に対する強烈なアンチ・テーゼになっているのだ。