■つげ義春さんにごはんを奢ってもらう筈だった
明けましておめでとうございます。昨年末から始めた小さなブログですが、今年もよろしくお願いいたします。
さて新年一回目はまさしく神的存在だったつげ義春さんについて書きたいと思います。
学生時代に小さな出版社でアルバイトをしたことがあった。アルバイトといっても、ほとんどは倉庫から本を運んだり、電話番をするなどの雑用係だ。ごくたまにマンガ家のところに原稿を取りに行くことがあって、当時から売れっ子だった池上遼一さんにお会いすることもあった。一緒に干し柿を食べた。場所は「ガロ」で人気のあった鈴木翁二さんのアパートだった。原稿をとりに行ったら池上遼一さんが遊びにきていたのだ。今では「まんだらけ」の社長として高名な古川益三さんのお宅でカレーをご馳走になったこともあった(昨日掲載した古川さんのイラストはこの時期のものではない)。
その頃はガロ系のマンガに夢中になっていたので、「ねじ式」のつげ義春を神の如く尊敬していた。
その出版社はつげ義春の作品集を出していて、不定期刊行の雑誌につげ作品を掲載していた。出版社でアルバイトが採用になったとき、まず考えたのはつげ義春に会えるかもしれないということだった。
だがつげ義春はその頃はほとんど作品を描かなくなっていて、原稿を取りに行く機会はなかったし、何かの打ち合わせにはオーナー兼編集長がつげ宅まで出向いていた。つげ義春の生原稿を見ることができたのがせめてもの喜びだった。
ある日、一人で電話番をしていると、電話がかかってきた。出てみるとボソッとした声で「つげです」と言う。ぼくはちょっとドキドキしながら「義春さんですか、忠男さんですか」と聞いた。弟のつげ忠男さんもガロ系の世界では有名なマンガ家だ。すると「忠男じゃないほうです」という返事。
その時はつげさんが用事のあった編集長が出かけていたのだが、相手を神の如く崇拝していたぼくは、いかに「ねじ式」に感動したか、「紅い花」が大好きか、「もっきり屋の少女」を愛読しているか、かなり熱っぽく捲し立てたと思う。つげさんにはこちらの「神の如く崇拝している」感が伝わったのか、笑いながら「そのうちご飯でもおごりますよ」と言ってくれた。あるいは、新しく入った編集者とでも思ったのだろうか。こっちはたんなる雑用係のアルバイトだったのだが。
翌日、大学の近くにあるパチンコ屋の二階の喫茶店に友達と入ろうとしたら、ドアが開き、中からなんとつげさんと連れらしき女性が出てきた。偶然とはいえ、前日電話で喋ったばかりだったので、何か神がかりのような奇蹟的な遭遇を感じた。
が、なんとなく挨拶をするのがはばかられるような雰囲気が、つげさんと女性とのあいだにあって(おそらくケンカでもしていたのだろう)、名乗ろうかどうしようか考えているうちに、つげさんは怒ったような顔で階段を降りていってしまった。
その後学校の現代詩と映画のかけもちサークル活動が忙しくなって、出版社でのアルバイトをやめてしまい、つげさんと電話で話をすることも喫茶店で遭遇することも、ましてやご飯を奢ってもらうこともなかった。