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「今日はお袋の命日だからお供えをしないとね」と、家内に話していたらグッドタイミングでU先生が珍しいロールケーキをお持ち下さった。「冷蔵庫に入れないで下さい」と書いてある。なるほどさすがに甘みを抑えた品のあるケーキだ。早速仏壇にお供えさせてもらった。それから母が大好きだったピーナツなどを家内が買ってきてお供えしてくれた。


(華絵と母)               (実に美味しかったロールケーキ)

25年前の昭和58911日、朝5事すぎ電話が入る。新聞を見ると引き汐時だった。「ああ、これでダメだ」。

そう思いながら病院に駆けつけたが、やっぱりダメだった。クモ幕下出血で倒れてちょうど10日目だった。血圧が高くて3回目の入院だったので覚悟はしていたが、波乱に満ちた母の一生を思うと悔いが残って仕方がなかった。


(たった二人の川原家の姉妹。右・牧おばさん。腰の悪い母と姿勢の良いおばさん)



(初めて町内からめかりの菊人形を観に行ったとき) (戦前の父と母。貴重なたった一枚の写真)

25年前。華絵は5才、玄徳は4才、おいらは35才になったばかり。年中無休の保険の仕事をしており、開業してまだ8年だから家内と二人の個人商店だ。二階の和室が葬儀場。一階の事務所では電話がワンワン鳴る。「ハイ、山下損害保険サービスです・・」と、電話を受けながらの葬儀だった。おかげさまでたくさんの方々が弔問に訪れて下さり、母も天国で「やっと苦労が報われた」と、喜んでくれているのではないかと思って感慨深かった。

弔問客やお客様の応対、親族の接待、二人子守をしながらの葬儀は、家内が一番苦労したと思う。通夜、葬儀の晩と兄弟連中が夜遅くまで酒を呑みながら、ああでもない、こうでもないと口角泡を飛ばして延々と議論が続く。「いい加減にして下さいよ」と言いたかっただろう。その頃はそんな思いやりの欠片もなかったが、25年の歳月を経てわが身の衰えと共にその有難味が沁みてくるようになった。あれから四半世紀。人生あっという間だ。