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昨日遂に一千万回の“ありがとうございます”満願成就を果たした。千日回峯行に比べると万分の一ほどもないただの自己満足ではあるが、独断と偏見で生きている男としては、大いに満足しているところである。平成1479日からスタートして6年の歳月を要している。

しかしあることを成就するためには、その道程で必ずそれを阻もうとする「魔」が競うものである。色んな難(障壁)が起きてくる。それが満願に近づくにつれて激しく厳しくなってくる。そのことは心得ていたが、いざ自分となると「あって欲しくない・・」と逃げる気持ちが襲ってくる。


(修繕を重ねて使い続けたカウンターさん、ありがとうございます)

丁度一年前頃からその難が極めて顕著に現れだした。家内が過呼吸で入院したり、息子の離婚騒動、そして娘の出産に伴う生死の淵等々・・・善意でしてあげたことがとんでもない事件へと発展しかけたり(肝を冷やしたが無事収束できた)、「この人が??」と思うほどの裏切りを受けたり、長いお付き合いの人が突然離れていったり、人生の節目である父の50回忌法要では、兄弟と意見の対立から絶縁状態になったり、辛く悲しいことを沢山経験させてもらった。特に今年に入って次から次へと、これでもかこれでもかと追い打ちをかけてくる。



トドメは7年間務めてくれた植松さんが突然、「のっぴきならぬ家庭の事情で、辞めさせてください」と。青天の霹靂だ。事情を聴くと、やむを得ないと理解しつつもショックは隠せない。人生成るようにしか成らない。この世の出来事は予測できないことばかりだが、すべては天の計らいなのであろう。彼女は本当によく働いてくれた。心から感謝している。幸せになって欲しいと願うばかりである。さすが彼女らしく最後まで引き継ぎをしてくれるとの由。助かります。感謝、感謝。

どんなことがあっても“ありがとうございます”のおかげで、その都度「難事は良いこと」「すべて今の私に丁度いい」「大難来たりなば大善来たる」「大変とは大きく変わること」「乗り越えられない壁はない」「すべて必要必然で起きている」などと、言い聞かせることができるようになった。これもすべて人生の転換のために必要なことで、とにかく満願成就にカンパ~イ。

平田和子さんから頂いた、千日回峯行を二回も成し遂げた酒井雄哉さんの「ただ自然に」のご本で、氏はこう書かれている。「回峯行で得たものは何もない。だけどおかげで命がある」。もの凄く肺腑に落ちる言葉である。そうだ「生きている、生かされている」それだけで過ぎたる功徳ではないか。ありがとうございます。無限の無限のありがとうございます。さあ、これから次の一千万回だ。