512号
日本人特務員Yの密告により、ソビエトに強制連行され無実の罪で10年の刑に処せられ、極寒のシベリアで廃人同様の扱いを受ける中、お母様へのご恩返しの約束を果たすために「どんなことがあっても死ねない」という強固な意志で生き延びてきた。「どうせあいつは死ぬんだ・・」と思ったのか、同胞の日本人は言葉も聞いてくれないほど冷酷だった。しかし、朝鮮の人たちは親切にしてくれた。「北朝鮮にいるとき地元の人たちに親切にしていたことが、こんな時に生きてきた」とも話されていた。特務員Yも結局その後銃殺されている。何のことはない、みんな国家の犠牲者だ。
その母との約束を守るため「なんとしても生きねばならない」唯一の手がかりが理髪師になることだった。理髪師だけが優遇されていたのを見逃さなかった。動かない身体を這っていって理髪師に取り入った。断られても断られても必死で食い下がった。粘り勝ちである。「カミソリ研げるか?」「ハイ、研げます」と即座に返事。それからが大変だ。全くの未経験だから。でもやらなければ生きる道はない。知恵を使い必死でカミソリやバリカンの刃を研いだり、櫛を作ったり、とにかく何にでも挑戦した。ひげ剃りをする。肩をもむ、指圧をする、そうしているうちに幹部の者たちからもお気に入りになる。人気がでてくる。「芸は身を助ける」というが、まさに蜂谷先生は自らの命を自らの力(知恵)で救い、10年の刑が7年に短縮され無罪放免と相成るのであるが・・・
やっぱりところが、である、スパイの容疑が消えたわけではなく、以後43年間に亘って執拗に国家機関によって監視され続けるのである。何度も何度も危機にさらされる。そのたびに同じ境遇を生き抜いてきたクラウディアさんに救われるのである。二人は必死で働いた。そのおかげでロシアの人たちからも優しくしてもらうことができた。蜂谷先生は、スパイ容疑者の身でありながら、理髪指導員や、地域の生活指導員などの要職を歴任されている。50年が経って、本当に無罪放免されたとき、親しくしてくれた友人たちは全員が国家の回し者だったそうだ。彼達も辛かっただろう。スパイのスパイをしながら、人間としてのつき合いの中から生まれる友情や愛情を抑えることの辛さは如何ばかりか??。体制の中で生きて行くには仕方のないことであろう。やっぱり平和が大事だ。収容所の副所長にはとてもお世話になったそうな。無罪放免になった日に自宅へ招待された。奥様が「ようこそ、“日出ずる国”のお人、どうぞお座り下さい」と丁重にもてなしてくれたそうな。 ・・・・つづく



