程なく、新生電気の森重久さんが入団してきた。彼はセカンドがメインポジションだがピッチャーもできた。未だに「ヤマちゃん」と、お付き合い頂いている大事なお客様の一人でもある。2月10日の創業30周年記念祝賀会にもお出で頂き、乾杯の音頭をとってもらった。ゴルフがとても上手でシングルの腕前である。家電の卸業をしていて全国の大手量販店に卸しているのだからスゴイ。今年で創業39年になるが、草創の頃は全国を飛び回り随分苦労されたようだ。
(戦火に散ったサラブレッド・沢村栄治) (ボールが止まって見える川上哲治)
それで選手も溢れるほど揃ったから早朝野球連盟に加入しようと言うことになった。C級からのスタートだ。C級の上位4チームだけがB級に上がれる。B級の上位4チームだけがA級に上がれるというトーナメント形式の連盟だった。一回戦で負けたらそれでオワリ。年に数回の大会がある。勝ち残って上級に上がるのは至難の業である。娯楽の少ない時代だったので、野球が一番愛された。お金をかけないで楽しめるのは野球が一番だ。なにせ一ケ月1000円の会費で楽しめるのだからこれほど安い娯楽はない。だから加盟チームがどんどん増えていった時代である。終いにはD級まで出来て200チーム近くなったと思う。
そんな時代だったから、生存競争が厳しかった。職場のチームも多かった。それで結構コミュニケーションを取っていたのだろう。まあいい時代だった。企業も鷹揚だった。
おいらのチームは九州歯科大学のグランドが近くにあったので、勝手にホームグランドとして使っていた。グランドがあるから練習試合相手には不自由しなかった。よく練習試合をしたものだ。そのおかげもあってバタバタC級で優勝し、すぐにB級に上がった。B級でもいいところまで行ったが、さすがに余所もみんな強い。
何分早朝野球は朝が速い。5時には起きて支度をしなければ間に合わない。なかなか人数が揃わない。朝寝坊の男もいる。前日飲み過ぎて起きられない男もいる。伊藤律(ただす)監督はいつもイライラしていた。いつの時代でもそうだが、レギュラークラスの人間は出てくるのが遅い。しかし控えの選手ほど試合に出られないのに、ほとんど休むことはない。朝も早く、せっせとグランド整備などの下積みをしてくれるありがたい存在だった。
早朝野球は「実力よりも全員揃う」ことが勝利の条件だった。我がチームもその例外ではなかった。いつもいつも起こしに行かなければ起きてこないヤツもいる。近くの人間はそれでも迎えに行けるが、遠くの人間はそうも行かない。連絡がつかない。今の時代のように携帯電話など当然ないし、電話さえないものもいた。・・・つづく

